Poisson d'avril ~毎日が四月バカ~ -21ページ目

Poisson d'avril ~毎日が四月バカ~

Some people feel the rain. Others just get wet.

さて。

前日の名古屋の"街"遊びとは打って変わって、本日目指すは"岐阜県揖斐(いび)郡揖斐川(いびかわ)町白樫(しらかし)"。ここにある「光蓮寺」です。

なぜ、ここに行くのかというと…

と、その前に。


名古屋市から揖斐川町への途中、"大垣城"に立ち寄りました。



この大垣城は1500年頃に築城されたらしく、小さいながらも美しい外観と落ち着いた庭をもつ品のあるお城です。






天守閣からの眺めはとても心地よく感じられました。




さて、again。

話を本題に戻します。


僕のウチには代々"長女"が受け継いできた「掛け軸」があります。その軸に添えられている副簡に、この白樫にある"光蓮寺"の名前があるのです。


大垣城からさらに山里へ向かってクルマを走らせます。





そして、到着。






華美なところが一切ない、ひっそりとしたお寺です。



こちらのご住職には僕らが参ることを事前に知らせてあったので、その掛け軸と副簡を見ていただき、早速お話を伺うことになりました。





ウチの長女たちが受け継いできた掛け軸は「六字名号」、いわゆる「南無阿弥陀仏」と書かれた軸です。

およそ600年前の室町時代に蓮如上人が書いたもの。添えられている副簡は京都のお寺が発行した"証明書"。宛名として明記されたのが、受取人であるウチの先祖、つまりここ光蓮寺の門徒(檀家)だったというワケです。


私たちの祖母は早くに亡くなり、母もこの掛け軸の詳しいことを知らぬままに逝ってしまったので、ただ"長女が受け継ぐもの"としか言われてこなかった僕の姉は、この副簡にある名前"健雨"が誰なのか、なぜこれを長女たちが受け継いできたのか…そんな"ルーツ"を求めてこの光蓮寺へやってきたのです。(運転はオレねw)


ご住職の話によると、今と違って戸籍が整っていなかった頃は住所の代わりに寺の在処を使用したのだとか。また、この掛け軸は仏様そのもので、手を合わせる時には壁に掛け、当時は比較的"救われ難い"とされていた女たちに大事にされてきたのだろうということ。

一代二十五年としても、600年間で凡そ24人の女たちが守ってきた大切な軸。編年の傷みでそのものの価値は無くなっても、想いがこもった家宝として大事にしなさいという話でした。



そしてご住職のお父様が、その"健雨"さんに関係あるかもしれない墓所を案内してくださいました。


それは山奥へさらに進んだところ。






これだろうか…あれかも知れないと、墓石に刻まれた名前を確かめていきます。






そして。




ありました。

確実にこの姉や、僕の母や祖母らと繋がりを持つ墓石が、ここに。


姉は、母と祖母の写真を立て、じっと手を合わせていました。


ご住職のお父様も大変に喜んでくださって、その墓に抱きついておられました。


そのお父様から「もうこのシャバで会うことはないと思うけれども、あっちでまた必ずお会いしましょう」とお言葉を頂き、僕と姉はただ「はい」と答え、この"白樫村"を後にしました。







この「巡る、900キロの旅」はこれで一先ずの目的を達成しました。

バイバイ名古屋!

バイバイ白樫!!



後は東京へ帰るのみ!


…とはいかず。

静岡県内を走っているうちに決まった追加での泊まり。姉がスマホでサクサクと予約を取って辿り着いたのは、熱海!w




続く!