どうも、高校生のブログです。
さて、突然ですが質問です。皆さんはどうして小中と9年間、長い人は16年間も学校に行くんでしょうかね?
いい大学に入っていい就職先に入る為。とか、友達を作って思い出を作ってコミュケーションをしていって自分の世界を広げていく為とか、まあ、色々あると思います。
皆さんが、今、考えたそのどれも僕は正解だと思います。ではなぜ、勉強が得意な人も苦手な人も小中では同じ教室で勉強するのか。
そこでは、当然できない人とできる人との間に差が生まれ、そこで初めて生まれてから、初めて人を見下す、見下されるという事を覚えます。
人はどんなに優れた人間でも1回は人を見下したり見下されたりしているはずです。だって、誰かの事を見下したから、じぶんはそうならないようにと頑張っていく活力にしているからです。
もし、あなたが人を全く見下さない程の人格者であれば小学校で下駄箱の上履きが無くなったり、中学校で放課後暴力を振るわれるなどして見下されて自殺しているでしょう。なぜなら、人を見下さないと生きていく活力が生まれず、逆に見下され続けると生きる意味を見失ってしまうからです。
ではなぜ、そのようなリスクのある『勉強』というシステムを取るのか、それは学校という施設の中だから可能なのです。
学校は勉強する場でもありますがそれ以外のことも学べる場です。勉強でダメでもまた別の場所で輝けるかもしれないという事です。
勉強以外の才能を見つけられるからこそ学校で学ぶ意味があるんです。
そして、頭のいい人ではなく、賢い人はいずれ気付きます人生において可哀想な人は貧乏出頭の悪い人ではなく、あたまが良くても自分の持っているもの以上のものをどんどん手に入れようとしている人です。決して満足することがないのは分かっているのに求めるのをやめられないそーいう人です。
そして、その求める人は人生の時間を求める為に費やしすぎていつの間にか老人になってしまうのです。その時に残るのは1回しか乗ったことのない高級外車や人数の割に無駄に広い家だったりするかもしれません。
人生において、大切な事は頭の良さではなく、世の中の仕組みを客観的に捉えることのできる観察力なのです。