高崎への道(8)主は与え、主は取られる……
「なぜ高崎に引っ越したのですか?」との質問に、「これには、話せば長い物語があります。」とお答えしてきました。その「長い物語」を連載しています。今回はその8回目になります。この連載の1回目に、このように書かせていただきました。……引っ越すならば、礼拝にすでに集っておられる方、Zoomで礼拝につながっている方をどうするか、という問題も生じます。そしてさらに、引っ越しによってN市での伝道を打ち切るのか? これまで苦労して伝道してきたことをすべて白紙に戻して、新たな地に引っ越せるのか? それだけの勇気があるのか?……伝道者・牧会者としての啓の内側に、鋭い問いが突きつけられました。握りしめているものを手放すことができるか……それらもすべて祈りに含めて、主の御心を祈り求めていきました。今回は、1回目に書かせていただいたこれらの問題を通して感じた啓の心の葛藤と、主のお取り扱いを書かせてください。偉作の教育環境を考えて引っ越す……「そうしたい、そうすべきだ」という熱い思いと同時に、今まで築いてきた、いや、築かせていただいていた、約15年以上にわたる開拓伝道の働きを手放すことへの抵抗、伝道のフィールドだったN市とK市への未練が、心の中でぶつかりあっていました。もう10年以上前、結婚して1・2年目ぐらいの頃に、こんなことがありました。ある教会が無牧(牧師がいない状態)になろうとしていました。その教会の牧師にならないか、という話が、私たち夫婦にありました。すでにそのとき、開拓伝道は4・5年目に入っていました。教会内に問題が生じて、礼拝出席者がガクッと減った時期でした。そして、その問題の原因となった事件で悩まされた妻は、この牧師招聘の話に乗り気でした。しかし、啓は頑なにこの話を拒否していました。「この開拓伝道は自分のライフワークだ、簡単に手放すことはできない!」しかし、悩み苦しむ妻を見放すことはできません。啓は、開拓教会の伝道エリアとなる地区を、祈りながら毎日一周、合計七日間で七周歩いて、こう祈りました。「主よ、もしこの地域で伝道することが御心なら、教会に来る魂、救われる魂を、来年3月までに少なくとも三人起こしてください。しかし、もし、無牧教会への移動が御心なら、この祈りが徒労に帰して、誰一人救われなくても結構です。」ところが、七日たたないうちに、教理と信仰の体質の違いから、牧師招聘の話は白紙に戻すとの連絡が入りました。そして、その時から10年以上……「あなたがたはこの山に十分長くとどまった。あなたがたは向きを変えて出発せよ。」(申命記1:6,7)、「北の方に向きを変えよ。」(同2:3)……これらの聖書のことばを、神様は私たち夫婦に示してくださいました。そのとき、不思議と10年前のときのような激しい拒否反応は、啓の中に起こりませんでした。むしろ、引っ越した先で再び開拓伝道を開始しよう、という思いに変えられていきました。主が御心で導かれた場所ならば、必ず主が備えておられる民がいる……そういう思いが啓の中に芽生えていました。神様が触れてくださったとしか言いようがありません。ただ、つらかったことがあります。「向きを変えて出発せよ」の聖書のみことばが示されてから、教会の人数が減り始めました。新型コロナウィルスの影響で、子ども会を自粛しなければならない状況でした。そして数年するうちに、水泳教室に、塾に……子どもたちは成長して教会から離れました。また、ある方は老人医療施設が併設された教会に転会され、Zoomでつながっておられたある方は地元の教会に出席されるようになり、ある家族は引っ越して行かれました。そして2025年11月には、私たち夫婦と偉作だけが残る状況になってしまいました。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ1:21)もちろん、教会の人数が減ったことは、啓の不徳の致すところです。ただ、正直つらかった……次々に災いがふりかかるとき、ヨブはよく「主の御名はほむべきかな」と言えたと思います。「その後、わたしは、倒れているダビデの仮庵(かりいお)を再び立て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。」(使徒15:16)主が導いてくださった高崎の地で、主ご自身が私たちの群れを建て直してくださることを、期待して祈っております。<つづく>いざ、出発!高崎へ!