<小説ワンシーン>
読んだ小説のワンシーンをご紹介します。本を読むことを好きになっていただくことを願うとともに、これを通してご自身の人生を見つめ、気づきや教訓を得ていただければ幸いです。
吉川英治作『新・平家物語』
忠信は、兄の方に刺さっていた敵の矢をヘシ折ってかたわらへ抜き捨て、もう、眼のふちに死の色を兆している兄の体へ、とりすがっていた。――義経がうしろへ来たのも気づかずに、なお、
「……兄者人、しっかりしてください。兄者人」
と、呼びながら、手をまわして、抱きついていた。
「……」
義経は、肘を曲げて、両目を抑えた。
「……忠信」
「あっ、……わが殿」
「かぶとの緒を解いてやれ。かぶとが、重かろう」
「は、はい」
「わしが抱いてやる。……そっと、その手を抜いて、義経の手に抱えさせよ」
「あ、ありがとう存じまする。くるしそうな唇、水を求めているのでしょうか」
「水をやってはいけない。……待て」
義経は、地へすわって、深々と、自分のふところへ、継信を抱いた。
そして、焦点をもたないその眸へ、
「義経ぞ、わかるか……」
と、自分の顔を近づけた。
自分をかばって矢を受けた友が死に瀕したときの源義経の行動です。
命を奪い合う戦いの最中にも、大切な人への心は、身分や主従関係を超えて、激しく動かされます。家族・友人との何気ない日常も、一期一会と思って密度をもって接したいですね。