昨夜BSでアメリカ映画のことの1回目をやっていた。
『ローマの休日』を取り上げていたが、脚本家のことが中心だった。
私も知らなかった、本当の脚本化がダルトン・トランボだったとは。
トランボの名前を知ったのは『ジョニーは戦場へ行った』という彼の小説を脚本、監督した時だった。
衝撃的な内容の物語だった。

『ローマの休日』を製作していた頃、売れっ子の脚本家だった彼はアメリカの狂気の時代、マッカーシー上院議員による赤狩りでハリウッドから追放されていた時代だった。
この時代、ハリウッド映画や出版マスコミ業界などユダヤ系の産業に対する風当たりは強かったに違いない。映画人同士が密告させられる時代だった。
チャップリンもハリウッド、いやアメリカから追われた。
エリア・カザンも仲間を売るように脅されそれに屈してしまった過去があり、アカデミー賞で功労の表彰時、彼をスタンディングオべーションで迎える映画人と腕を組んだまま微動だにしない映画人がいた様子に驚いたことがあった。
日本の学校で大半の馬鹿教師達。生徒が煙草を吸っている現場を捕まえ、吸っている仲間を密告させ、それで呼び出した生徒が密告を拒否したらその生徒は停学、密告者はお咎めなしと云う構図を想像してしまう。

『ローマの休日』最初のキャストはエリザベス・テーラーとケーリー・グラントの予定だったらしい。
それを監督のウイリアム・ワイラーはグレゴリー・ペックに変更しオーディションでオードリー・ヘップバーンを選んだ。
ワイラーはいち早くマッカーシーイズムに反対していたが押さえつけられ運動が出来なかったユダヤ系の人だった。俳優としてペックもこの運動に参加していたからワイラーは選んだようだ。
オードリーも戦時中レジスタンス運動をしていたのが気に入った要因だったとか。

ワイラーはトランボに友人の脚本家の名前で書かせ、撮影もハリウッドから離れローマでオールロケーションを行った。これは当時のハリウッドでは画期的なことで、経費の加減でカラーではなく白黒になったそうだ。
常に人間を優しい視点で描く巨匠ウイリアム・ワイラーと正義感と品性と気骨有る映画人が作っていたハリウッド映画も秀作はあるがマネーゲームのような作品に溢れかえってしまっている。これも一種の拝金主義の狂気の社会。

ウイリアム・ワイラー、ジョージ・スティーブンス、ジョン・フォード、キング・ヴィダー、色々有ったがあエリア・カザンの様な優しく人を見つめてくれる監督の作品を若い方に観て欲しい。