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新掛橋駅
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「うん…。あの時は花火大会に行った帰りだったんだ。ユキって子と一緒にね」
そう美紀は言い、堅くなった体を少しだけ動かした。
腰を上げるのも見るからに苦しそうだ。
「花火大会は夜9時前に終わったんだけど、駅が遠くてさ。ユキと電車に乗った時はもう10時を少し過ぎてたな…」
美紀は考え込むようにしながら、その時の様子を淡々と語り始める。
「花火客が多くて、座席に座れたのは何駅か過ぎたあたりから。降りる駅はユキの方が早くて、ユキと別れた後は、一人で携帯電話をいじってたんだけど…」
「ふーん…。ユキって、高校の頃の友達か?」
と、敦が聞く。
ここは美紀の病室。
8畳ぐらいの個室には、所々に数ヶ月間の闘病生活の跡が残っており、結樹が想像していた以上に色々な検査や治療が行われていたようだった。
窓に引かれた純白のカーテンがいかにも病室といった雰囲気をかもし出している。
両開きになったカーテンは窓の半分ぐらいを覆い、その隙間から昼間の暖かい日差しが差し込んでいた。
窓の外には青空の大海が広がっている。
そこへと小さな雲が遊覧船のようにいくつも浮かんでいて、秋風が船を大航海へと送り出しているように見えた。
網戸から風がすり抜けてきて、美紀の髪とカーテンの裾を同調させるようにヒラヒラとたなびかせている。
他の個室には個人用のトイレやバスルームまで付いている部屋があるらしい。
最初、担当医にもそちらを勧められていたが、金銭的な都合上、一番ランクを下げたこの個室を選ぶことにした。
といっても、病室のベッドの他にクローゼットや地デジ対応型のテレビ、洗面所まで完備されているのだが。
普通に入院生活を送るには申し分ない。
「ユキは中学の頃のクラスメイト。なんでも、彼氏と一緒に花火大会に行く約束してたらしいんだけどね。それが、前日になって、いきなり仕事で来れないって連絡がきたらしくてさ。だから、私がその代役に抜擢されたってわけ」
「そっか…それで?」
と、今度は結樹が美紀へと聞いた。
「うん…とにかく、その日のユキは、帰りの電車の中までずっと彼氏の愚痴ばっかりだったな。…まあ、気持ちは分からないでもないけどね…南くん?」
と、美紀は結樹の方を見て不敵な笑みを浮かべた。
結樹は少し気まずそうな顔をする。
「南くーん!」
と、敦まで馬鹿にしてくる始末。
美紀と付き合ってた時の結樹の態度と照らし合わせたいのだろう。
「ま…まあ、いいじゃんか昔のことは…。とにかく、それでどうなったんだよ?」
と、結樹は無理矢理話を戻す。
「そうね?過去のことだものね?」
と、美紀はサラっと言うと、結樹から少しだけ目をそらして話を続けた。
「ユキが降りた後、10分ぐらいだったかな…。彼女からメールがきたの。それがね、ユキが電車の定期入れをどこかに落としたって内容でさ」
「定期入れ?じゃあ、そのままだと駅降りれないよな?」
と、敦が言うと、
「乗車駅には定期使って入ったのか?もしそうだったら、落としたのは乗車駅の構内か、電車内か、もしくはユキって子が降りた駅…?」
と、結樹が言った。
「うん。乗車した駅がユキの定期の区間内だったらしいから、持っていた定期を使って電車に乗ったみたい」
と、美紀が言うと、
「そういうの、いくらか金払って、とりあえず改札だけでも出れないのか?」
と、敦が聞く。
「うん…多分、できると思うけど、ユキ、花火大会の出店でいろんな物買っててさ。お金もほとんどなかったみたいなのよ」
「ふーん。まあ、彼氏がらみのやけ食いってやつか?」
と、敦が苦笑する。
「まあ…ね…。だから、このままじゃ駅から出られない、どうしようってメールで騒いでた。それで、とりあえず私は定期を見付けるために、自分達が座っていた座席とか、立ち乗りしていた辺りとか、とにかく電車内をくまなく探してみたのよ」
「うん、それで?見つかったのか?」
と結樹が聞く。
「見つからなかった…だよね?」
と、言いながら病室に入ってきたのは理恵だった。
「あ!理恵さん、おかえりなさい」
と、真っ先に言ったのは敦。
理恵の手にぶらさげられた袋には結樹達のために買ってきたのであろう、飲料水やお菓子類などが詰め込まれていた。
おそらく、地下1階にある売店で買ってきた物だ。
「あれ?お姉ちゃん着替えたの?しかもその服、ちょっと気合い入りすぎじゃない!?」
と、まっさきに美紀がつっこむ。
「えー…そうかなあ?普通よ普通。女である限り常にルックスには気を使わなきゃね。しかも久しぶりにこの面子で会うんだし!」
と、理恵は意気揚々と語り、袋に入った飲み物やお菓子を3人へと配る。
どうやら、先程、喫茶店で結樹達に会う前にわざわざ着替えていたようだ。
「美紀、お菓子とか食べて大丈夫なのか?」
と、結樹が聞く。
「うーん、いいとも悪いとも聞いてないし…まあ自己判断ってことで。今日の検査もいつもと何も変わらずだし!」
と、美紀は少し楽しそうに話す。
理恵は久しぶりに見た二人の会話の光景を微笑ましそうに眺め、美紀の近くにあった丸椅子に腰掛ける。
しかし、結樹の目には、そんな理恵の表情が、何も進展しない美紀の治療に対して苛立ちを覚えてるようにも見えた。
自分が深く考えたって何も変わらない。
そう気持ちの上で整理できたらいくらか楽になれるのに…。
そう思いながら心の奥底で現実と戦っているのだろう。
「あ、理恵さんは何か食べないんですか?」
と、敦が聞く。
「えー…と、そうだな。私は何かさっぱりした物が食べたいかな…。例えばその棚に置いてあるリンゴとか…ね。ア・ツ・シ!」
「おやすい御用で!」
と、敦は即座にリンゴの皮むきに取りかかった。
病室の中に笑いが起こる。
しかも、昔、不器用だった敦が今は洋食レストランに勤めているらしく、すばやい手つきで皮むきをする姿は他の3人を驚かせていた。
結樹はそんな光景を眺めながらも、元気に走ってた頃の美紀を思い出してしまう。
今は空元気でも、笑っていてくれる美紀の表情がせめてもの救いだ。
(病人に救ってもらうとはな…。駄目彼氏ぶりは今でも健在か…)
そんなことを思いながらも、話を戻すように、
「あ、それで、さっきの話の続きだけど…」
と、結樹自身が切り出した。
「届けられてたみたいよ。駅にね」
と、理恵が代わりに言う。
「うん。結局電車の中はどこにも見当たらなくて、とうとう私の降りる駅に着いちゃったの。だから、一旦その電車を降りたのよ」
「美紀の降りる駅って山王駅か?」
と、敦が聞く。
「うーん、今は違うんだよね。一人暮らししててさ。だから、山王駅から3つ駅を過ぎた新掛橋で降りるの。南くんには前に話したけど、今、私、塾の講師してるんだ」
「夜仕事終わるのが結構遅いらしくてさ。あまりにもそんな日々が続くもんで、たまらず美紀の父親が一人暮らしを勧めたらしい」
と、その後を結樹が代わりに説明する。
「新掛橋か。ここらへんじゃ少し大きめの駅だな。それにしても、美紀が塾の講師かあ…。俺はさすがにもう学校の教科書は見たくねーな…」
と、敦が言った。
「大学に行って教職の免許とったんだけど、なかなか教師の空きってないのよ。まあ田舎だからしょうがないんだけどね」
と、美紀は言い、手元にあったミネラルウォーターを少し口にした。
「それでね、新掛橋で降りた後、とりあえずユキのいる駅に戻るためにさ、別のホームで電車を待ちながら、ユキへと電話しようとしたの。そしたら、いきなり構内放送がかかったのよ」
「構内放送?」
と、結樹が聞く。
「うん。『山根ユキ様、定期入れの落とし物を預かっておりますので、駅員室までお越しください』ってさ」
「おかしくないか?」
と、とっさに結樹が言う。
「うん…。私も最初は見付かったことの安堵感が大きくて、そんなこと全然気にしなかったんだけどさ…」
と、美紀が言った。
「ん?何が?親切な誰かが届けてくれたんだろ?」
と、敦が言う。
「あのな…敦。届けられたのはユキって子の定期入れだぞ。それが何で新掛橋駅に届けられるんだ?」
と、結樹が説明した。
「拾ったその人も新掛橋で降りたんじゃないか?」
と、敦が言い返す。
「じゃあ、その人が新掛橋で降りたとしても、見ず知らずのユキって子がなぜ同じ駅にいると分かる?しかも、定期に記された乗車区間はとっくに過ぎてるはずだろ?」
「あ…そうか…」
と、敦は言い、考え込む。
「つまり、美紀が定期を探してることを知っていた人間で、なおかつ、美紀が新掛橋で降りたことを知っている。その上で意図的に駅員室に届けて、新掛橋駅内に放送を流させたんだ」
「意図的に?」
「そう。例えば、『今、この駅で女の子が定期入れを落とすところを見たんだけど、その人を見失ってしまった』とかな」
「何でそんなことをする必要があるんだ?」
と、敦が聞く。
「さあ…それは分からないけど…」
と言い、結樹も考え込む。
その時、
「美紀、その続きがあるんでしょ?」
と、理恵が言った。
「うん…。実はその後、駅員室に向かう途中で立ち眩みっていうのかな…めまいみたいのがしてきてさ。地下道の通路にあったベンチで少し休んでたんだ」
美紀は先程より慎重に一部始終を話し出した。
「新掛橋の駅員室は改札とは逆方向にあるの。だから、人通りがほとんどなくてさ。しかも、地下道だからなのか電灯も少なくて周りが少し薄暗い感じだった」
「ふーん…。そういえば、昔、ツレに聞いたことがあるんだけど、かなり前にその駅は別のローカル線の終着駅にもなってたらしい。まあ、今となっては廃線になっていて、使われてたホームや地下通路も薄暗くて気味悪いって言ってたけど」
と、敦が言った。
「うーん…私はいつも改札方面しか通らないし…その時もそんな場所は見当たらなかったかな…。ただね、その薄暗い中、通路の奥から女の人が一人歩いてきたのは覚えてる」
「女?」
と、今度は結樹と敦が声を合わせて聞く。
「うん…。スラっとしてスタイルのいい女の人でさ。いかにもってぐらい高そうな赤いスーツを着てた。赤いテンガロンハットをかぶって、サングラスをした姿がその場所の雰囲気に奇妙にマッチしてて、一瞬ドキッとしたわ」
そう美紀が言う。
「それで、その女に何かされたのか!?」
と、結樹が聞いた。
「何かって言われると…何もされてないんだけど…。でも、その人が私の前を通り過ぎる時、突然、カツンって音がしたの。だから、私は何かなって思って、辺りを見回したのよ」
「何かの落とし物?」
と、結樹が聞く。
「うん。よく見渡すと、通路の端に小さな女性用の腕時計が落ちてたの。多分、その人が落とした物だと思う。でも、見るからに古そうで、その女性にはとても似つかわしくないなって、その時もそう思ったの」
と、美紀は語る。
「というか、それが今の美紀の病気と何が関係あるんだよ?」
と、敦が聞く。
「分からないよ…そんなこと。ただ…」
「ただ?」
「ただ、その時計を拾った時から医務室で起きるまで全く記憶がないの」
「記憶がない?」
と、結樹が聞く。
「うん…気付いた時には駅の医務室のベッドの上だった」
「そうか…。直接何が原因なのかは全く分からないけど、その女性と腕時計のことは気にかかるな」
と、結樹が言う。
「ごめんね、南くん。いろいろ忙しいのに…」
「別にいいさ。それに、俺はまだ何もしてないし、何もできてない」
そう言い、結樹は美紀の顔をじっと見つめる。
「ううん。そんなことないよ。聞いてくれてくれただけ嬉しいよ。ありがとう…」
そう美紀が言った時、
「はいはい!カット!カットー!そこまでー」
と、理恵が椅子から立って笑いながら口を挟んでくる。
「ちょっとお二人さん、そういうのは外でやってくれるかなー」
と、敦もニヤニヤしながら野次を入れてきた。
結樹と美紀は二人して照れた顔をしながら目を伏せる。
「あのなー…そういうことじゃなくて…」
と、結樹が言うと、
「いいっていいって!南くんの言い訳は10年前に聞き飽きたよ!」
と言って、理恵が茶化す。
敦もニヤけ顔を未だキープしているようだ。
「美紀も強がってないで、早く好きなら好きでヨリを戻し…」
と、理恵が言い掛けたのを、
「お姉ちゃん!うるさい!」
と、美紀が頬を赤らめて遮った。
昔からこの会話だけは、4人の間で絶え間なく続いていた。
半ばお決まりの会話である。
こうなると、結樹はただ茫然と会話を聞き流すしかない。
そして、この4人のやり取りが収束を迎えるまで10分以上の時間を要する。
未だ釈然としないこの議論だが、やっとのことで落ち着きを見せてくると、頃合いを見計らい、結樹が美紀へと訪ねた。
「そういえば、美紀、その女性が落とした腕時計、どうなったんだ?」
と、結樹は足組みをしながら聞く。
すると、
「ん?そこの南くんの足下にある引出しに入ってるよ」
と、美紀が言った。
意外な返答に、結樹は反射的に引出しから距離を取る。
「あの後、無くなってたと思ったんだけど、私のスカートのポケットに入ってたの。でも…何か気味が悪くてさ。私はあまり見る気になれないのよ」
「あのさ、ちょっと見てもいいか?その時計」
と、結樹が聞いた。
「うん…でも、あまり私には見せないでね」
「ああ、分かった」
そう結樹は言い、足元の引出しを開ける。
すると、奥の方に白いハンカチが敷かれ、その上に銀色の腕時計が置かれているのが分かった。
そっとその時計を取り出す。
美紀が言った通り、いかにも年代物といった作りだ。
所々細かい傷が付いていて、長針と短針は10時45分で針を止めている。
秒針は元々付いていないようだった。
敦もその腕時計を手に取ると、実際に身に付けてみたり、指でつまんだりして眺めている。
「へえ…別に何の変哲もない古時計だけどな…」
と、敦が言った。
確かに何の変哲もなく、いくら見ても特に美紀の病気に関わるようなところは見当たらない。
結樹もしばらくその腕時計を眺めていたが、美紀にはあまり思い出させるようなこともしたくなかったし、だいたい時計が病気の原因になるなんて馬鹿げてる。
そう結樹は思うと、手掛かりを探すのは一旦諦めて敦の手からその腕時計を奪い取ろうとした。
しかし、その時、不意に窓から強めの風が吹きつける。
敦がその腕時計の皮のバンドの部分だけを持って眺めていたため、風によって時計が小刻みに揺れていた。
日差しが当たり、キラキラと光が反射する。
「ん?」
しばらくそれを見ていた結樹は自分の目を疑った。
今まで何も書かれていなかったはずの時計の後ろ側の天板。
そに文字が写ったように見えたのだ。
「敦、ちょっと待て!」
「ん?何だよ?」
と、敦が眠たそうな声で言う。
「いいからちょっとその時計、貸してみろ!」
結樹は敦からその腕時計を奪い取ると、窓から差し込む日差しに直接当ててみる。
すると、何も書かれていなかった裏側の天板に文字が浮かんできたのだ。
「…な、何だよこれ…」
敦はそう言い、息を飲む。
「うーん…。どういった仕組みになってるのかは分からないけど…。とにかく、日差しに当たると文字が浮かぶようになってるらしいな」
結樹はそう言うと、窓際に近づき、太陽の光へとその腕時計をかざす。
すると、先程うっすらとしか見えていなかった文字が、そこへとはっきりと写し出された。
日差しが当たり、光の文字が浮かび上がっているように見える。
そして、その文字を見た時、更に驚いた二人は顔を見合わせた。
そこへはこう書かれていた。
『7th underground , two face』
「何かミステリーみたいになってきたな!」とか言っている敦のことはひとまず置いておき、結樹はじっとその文字を眺める。
美紀と理恵は何が何だか分からず、ただじっと二人のやり取りを見つめていた。
結樹の頭の中は少しずつ混乱し始める。
(偶然なのか…?ツーフェイス…これはあの咲月という子が言っていた言葉だ。意味は…二つの顔?二重人格?)
結樹は自分の頭を冷やすように、目をつぶり、その腕時計を手でギュと握りしめた。
そして、美紀には隠すようにして、そっとその腕時計を元の引き出しの中へと戻したのだった。