久しぶりのブログです。
内面の変化もあって、あまり書きたいことがなかったんですが、仕事の切り替えもあり、面接で自分の鬱について話す機会もあったので、ちょっと振り返ってみようかと思いました。
私は過去、ひどい鬱を患って何もできない日々を過ごしていました。症状があったのはもう10年以上も前なので、今は当時のうつうつとした気持ちを思い出すのもちょっと苦労するくらいです。
薬物療法は約1年ほど。カウンセリングも併行して行いました。症状はひどかったのですが、一向に良くならないので勝手に断薬(※)しました。反動ももちろんひどかったです。でも、自力で克服しました。克服できた理由はいろいろあるかとおもいますが、一番大きかったのはとことん自分と向き合ったことでした。
ずるくて醜くて弱くて自信が無くて恥ずかしくて意地汚くてイジワルでみっともなくて冷たくて他人に厳しくてみっともなくて・・・まだまだあった、こうした「否定してきた自分」と向き合うにはたくさんの絶望も涙もありました。
どこからこんなに水が湧いてくるんだってくらい泣いたし、何度も死にたくなりました。人が怖くて電車に乗ると動悸息切れ、手が震え、家に帰れば些細なことで家族に当たり散らし、興奮して眠れない日々を繰り返していました。
人に嫌われるのが怖くてものすごい労力を使って良い人を演じ、取りつくろっていますが、ひとたび家に帰れば愚痴三昧。悪いことの全ては他人のせいにしていました。人生そのものを呪っていました。
辛く苦しい「自分と向き合う日々」。でも、それでもやめられなかったのは「人によっては同じ経験をしていてもさほど辛くなさそう、むしろ楽しそうなのに、どうして私だけこんなに苦しいんだろう。何にこんなに怯えているんだろう」という探究心からでした。
私は自分の女性らしさをとても嫌っていました。男性にほめられても信じられないし、自分の外見も偽るかのように過度に化粧をしたり、はやりの服でごまかそうとしたり、嫌われ不安から男性に依存的になったり、性に対しても真逆の反応(真面目なお付きあいができない)を繰り返していました。
この時期は母親ととても仲が悪かったです。母親が大嫌いでした。自分の恋愛も上手くいかず、いつまでも自信が持てなくて鬱もひどかったです。そこで、どうしてこんなにも母親が嫌いなのか、母にされて嫌だったことを子供の頃から思い出し、分析してみることにしました。
10歳頃の話です。
母親に「そんなだらしのない格好(肌の露出の多い服装)をしないの!」と怒られ、自分の着たい服が着られない事が嫌だった。
以下、私の自己分析の過程です。
「母はなぜ私に肌を露出させたくないのだろう」
「肌を見せるといっても腕や足がたくさん出ているだけで、胸やお尻が見えているわけではないのに」
「肌を出すこと=だらしない」?
「だらしないって誰に対して?」
「公共の面前でだらしなくしちゃいけないと思ってるってこと?」
「それってもしだらしなかったら誰かが怒られるの?」
「私が怒られるの?」「でも怒られたことないぞ」
「怒られる?」「違うかも」
「お母さんのいうだらしないってどういうこと?(本人に聞いた)」
「変な人がいるでしょ!そういう人に見られたらだめだからよ!(母)」
「変な人って?私のことを変な目で見る人って・・・いやらしいってこと?」
「いやらしい目っていけないことなんだ・・・」「お母さんはいやらしいことを嫌がっているんだ」「いやらしいわたしを嫌がるってことか」
「いやらしい私ってどういうこと?」
「わたしっていやらしいの?」
「わたしが肌を出すだけで?」
「わたしが女だから?」「女ってだけで嫌がっているの?」
「お母さんは私が女であることを嫌がっているの?」
「女っぽくしているのが嫌なんだ・・・」
「わたしが女っぽいことが嫌?」
「どこが?(同時、ベリーショートで痩せてて真っ黒に日焼けしていた私。全然女っぽくない)」
「わたしが、というよりおかあさんは女っぽいことが嫌いなんだ!」
「お母さんは女を否定してるんだ」
分析結果
私が女性性を否定していたのは、母親自身がそうだったからでした。これは母親自身の問題であり、自分が解決すべき問題ではないということ。母親は「自身の女性性を肯定できない」ことに苛立って私に否定的な言葉を投げかけていることがわかりました。私が否定されているわけではないので、(言葉自体は私を否定しているかのような文言ですが、母のいらだちの原因がわかったので)母が私の外見を否定してもだんだんイラッとしなくなりました。
こういうことを事細かく、ずーっと繰り返し自己分析してきました。「どうして自分の好きなことを我慢しなくちゃいけないの?」「人が怒られている姿が怖い。私は悪くないのに怯えている。どうして?」「どうして人前で”ちゃんと”しなくちゃいけないの?どうしてちょっと変わっているだけでいじめられるの?」などなど・・・
そうすると、攻撃されているかのように見えて実は、攻撃している本人の内面の苛立ちだったことがわかりました。
自分はその苛立ちや怒りの喚起剤だったにすぎないということです。
これがわかってからは、相手に対してネガティブな喚起をさせないようにすることもできるようになったし、分析を繰り返してきたおかげでわりとすぐに「この人はなぜこの言葉や態度でこうした反応をするのか」がわかるようになってきました。
それでも、虐げられた辛さや苦しさ、一度味わった恐怖を克服するのは簡単ではありませんでした。理由は分析すればいくらでもわかりますが、心に負った傷が癒えるわけではないからです。
この傷をゆっくりと癒してくれた書籍をご紹介します。
ゲリー・ボーネル 著
「ビュイック・ドライバー―新次元の叡智」
この本にはゲリーが幼い頃に体験した内容が描かれています。両親から虐げられて育ったゲリーに優しく接するイーライという存在。ゲリーをありのまま包み込み、君は最初から素晴らしい存在なのだと教えてくれるイーライ。描写が鮮明なので、読者は本を読むだけでゲリー少年になったつもりでイーライに癒される体験ができます。
ゲリーの書籍はたくさん出ていますが、この本が一番大好きで癒されました。ゲリーと一緒に義父の暴力に怯え、母親の愛情に期待しては裏切られました。でも、イーライはどんなゲリー(私)でも否定せずに本当のことを教えてくれ、真摯に接してくれました。人間の根源的欲求「承認欲求」をふんだんに満たしてくれたのでした。
多くの人が葛藤を抱え、生きづらさを感じる現代で、イーライのような存在に出会うのはとてもむずかしいように感じます。それを疑似体験できる魔法をかけてくれたゲリーには本当に感謝しています。
一般的には壮絶ともとれる体験をしたゲリー。それでも、その体験を否定も肯定もせず、ありのまま今を楽しむ姿にとても感銘を受けました。あんな体験をしていても、こんな風に生きることができるなんて!
その可能性にとても魅力を感じ、私も過去に生きるのをやめました。
その人がありのままでいることの素晴らしさ。その姿だけで多くの人にとってたくさんの資源となることができる事をゲリーは体現して見せてくれています。
私もこうした資源となるよう、鬱という過去に縛られず、私という素晴らしい存在をありのままもっともっと楽しもうと思うのでした。
※断薬は自己判断でするものではないので、オススメしません。もししてみたい方は「心の病に薬はいらない!」という書籍をオススメします。
もし当時、この書籍があったらとおもうほど断薬の具体的な方法、依存性の高い薬の一覧、抜きやすい薬の一覧など詳しく書いてあります。
著者である内海医師のFacebookを私はフォローしています。記事が過激なので否定的な方も多いかもしれませんね。でも、この書籍を読んだらちょっと見方が変わるかも。
そのぐらい、精神薬を抜くということは命がけの行為そのものなのに、この先生は本気で薬を止めたい人たちと真っ向から向き合っています。言葉ではいくらでも批判できますが、実際に行動している人にはかないません。
内面の変化もあって、あまり書きたいことがなかったんですが、仕事の切り替えもあり、面接で自分の鬱について話す機会もあったので、ちょっと振り返ってみようかと思いました。
私は過去、ひどい鬱を患って何もできない日々を過ごしていました。症状があったのはもう10年以上も前なので、今は当時のうつうつとした気持ちを思い出すのもちょっと苦労するくらいです。
薬物療法は約1年ほど。カウンセリングも併行して行いました。症状はひどかったのですが、一向に良くならないので勝手に断薬(※)しました。反動ももちろんひどかったです。でも、自力で克服しました。克服できた理由はいろいろあるかとおもいますが、一番大きかったのはとことん自分と向き合ったことでした。
ずるくて醜くて弱くて自信が無くて恥ずかしくて意地汚くてイジワルでみっともなくて冷たくて他人に厳しくてみっともなくて・・・まだまだあった、こうした「否定してきた自分」と向き合うにはたくさんの絶望も涙もありました。
どこからこんなに水が湧いてくるんだってくらい泣いたし、何度も死にたくなりました。人が怖くて電車に乗ると動悸息切れ、手が震え、家に帰れば些細なことで家族に当たり散らし、興奮して眠れない日々を繰り返していました。
人に嫌われるのが怖くてものすごい労力を使って良い人を演じ、取りつくろっていますが、ひとたび家に帰れば愚痴三昧。悪いことの全ては他人のせいにしていました。人生そのものを呪っていました。
辛く苦しい「自分と向き合う日々」。でも、それでもやめられなかったのは「人によっては同じ経験をしていてもさほど辛くなさそう、むしろ楽しそうなのに、どうして私だけこんなに苦しいんだろう。何にこんなに怯えているんだろう」という探究心からでした。
私は自分の女性らしさをとても嫌っていました。男性にほめられても信じられないし、自分の外見も偽るかのように過度に化粧をしたり、はやりの服でごまかそうとしたり、嫌われ不安から男性に依存的になったり、性に対しても真逆の反応(真面目なお付きあいができない)を繰り返していました。
この時期は母親ととても仲が悪かったです。母親が大嫌いでした。自分の恋愛も上手くいかず、いつまでも自信が持てなくて鬱もひどかったです。そこで、どうしてこんなにも母親が嫌いなのか、母にされて嫌だったことを子供の頃から思い出し、分析してみることにしました。
10歳頃の話です。
母親に「そんなだらしのない格好(肌の露出の多い服装)をしないの!」と怒られ、自分の着たい服が着られない事が嫌だった。
以下、私の自己分析の過程です。
「母はなぜ私に肌を露出させたくないのだろう」
「肌を見せるといっても腕や足がたくさん出ているだけで、胸やお尻が見えているわけではないのに」
「肌を出すこと=だらしない」?
「だらしないって誰に対して?」
「公共の面前でだらしなくしちゃいけないと思ってるってこと?」
「それってもしだらしなかったら誰かが怒られるの?」
「私が怒られるの?」「でも怒られたことないぞ」
「怒られる?」「違うかも」
「お母さんのいうだらしないってどういうこと?(本人に聞いた)」
「変な人がいるでしょ!そういう人に見られたらだめだからよ!(母)」
「変な人って?私のことを変な目で見る人って・・・いやらしいってこと?」
「いやらしい目っていけないことなんだ・・・」「お母さんはいやらしいことを嫌がっているんだ」「いやらしいわたしを嫌がるってことか」
「いやらしい私ってどういうこと?」
「わたしっていやらしいの?」
「わたしが肌を出すだけで?」
「わたしが女だから?」「女ってだけで嫌がっているの?」
「お母さんは私が女であることを嫌がっているの?」
「女っぽくしているのが嫌なんだ・・・」
「わたしが女っぽいことが嫌?」
「どこが?(同時、ベリーショートで痩せてて真っ黒に日焼けしていた私。全然女っぽくない)」
「わたしが、というよりおかあさんは女っぽいことが嫌いなんだ!」
「お母さんは女を否定してるんだ」
分析結果
私が女性性を否定していたのは、母親自身がそうだったからでした。これは母親自身の問題であり、自分が解決すべき問題ではないということ。母親は「自身の女性性を肯定できない」ことに苛立って私に否定的な言葉を投げかけていることがわかりました。私が否定されているわけではないので、(言葉自体は私を否定しているかのような文言ですが、母のいらだちの原因がわかったので)母が私の外見を否定してもだんだんイラッとしなくなりました。
こういうことを事細かく、ずーっと繰り返し自己分析してきました。「どうして自分の好きなことを我慢しなくちゃいけないの?」「人が怒られている姿が怖い。私は悪くないのに怯えている。どうして?」「どうして人前で”ちゃんと”しなくちゃいけないの?どうしてちょっと変わっているだけでいじめられるの?」などなど・・・
そうすると、攻撃されているかのように見えて実は、攻撃している本人の内面の苛立ちだったことがわかりました。
自分はその苛立ちや怒りの喚起剤だったにすぎないということです。
これがわかってからは、相手に対してネガティブな喚起をさせないようにすることもできるようになったし、分析を繰り返してきたおかげでわりとすぐに「この人はなぜこの言葉や態度でこうした反応をするのか」がわかるようになってきました。
それでも、虐げられた辛さや苦しさ、一度味わった恐怖を克服するのは簡単ではありませんでした。理由は分析すればいくらでもわかりますが、心に負った傷が癒えるわけではないからです。
この傷をゆっくりと癒してくれた書籍をご紹介します。
ゲリー・ボーネル 著
「ビュイック・ドライバー―新次元の叡智」
この本にはゲリーが幼い頃に体験した内容が描かれています。両親から虐げられて育ったゲリーに優しく接するイーライという存在。ゲリーをありのまま包み込み、君は最初から素晴らしい存在なのだと教えてくれるイーライ。描写が鮮明なので、読者は本を読むだけでゲリー少年になったつもりでイーライに癒される体験ができます。
ゲリーの書籍はたくさん出ていますが、この本が一番大好きで癒されました。ゲリーと一緒に義父の暴力に怯え、母親の愛情に期待しては裏切られました。でも、イーライはどんなゲリー(私)でも否定せずに本当のことを教えてくれ、真摯に接してくれました。人間の根源的欲求「承認欲求」をふんだんに満たしてくれたのでした。
多くの人が葛藤を抱え、生きづらさを感じる現代で、イーライのような存在に出会うのはとてもむずかしいように感じます。それを疑似体験できる魔法をかけてくれたゲリーには本当に感謝しています。
一般的には壮絶ともとれる体験をしたゲリー。それでも、その体験を否定も肯定もせず、ありのまま今を楽しむ姿にとても感銘を受けました。あんな体験をしていても、こんな風に生きることができるなんて!
その可能性にとても魅力を感じ、私も過去に生きるのをやめました。
その人がありのままでいることの素晴らしさ。その姿だけで多くの人にとってたくさんの資源となることができる事をゲリーは体現して見せてくれています。
私もこうした資源となるよう、鬱という過去に縛られず、私という素晴らしい存在をありのままもっともっと楽しもうと思うのでした。
※断薬は自己判断でするものではないので、オススメしません。もししてみたい方は「心の病に薬はいらない!」という書籍をオススメします。
もし当時、この書籍があったらとおもうほど断薬の具体的な方法、依存性の高い薬の一覧、抜きやすい薬の一覧など詳しく書いてあります。
著者である内海医師のFacebookを私はフォローしています。記事が過激なので否定的な方も多いかもしれませんね。でも、この書籍を読んだらちょっと見方が変わるかも。
そのぐらい、精神薬を抜くということは命がけの行為そのものなのに、この先生は本気で薬を止めたい人たちと真っ向から向き合っています。言葉ではいくらでも批判できますが、実際に行動している人にはかないません。