眠れないです
眠れないというより寝付けないです
布団に入ってざるに2時間は経ちます
寝たいです
22時から1時半まで寝ちゃったのが響いてますね
しょうがないからもう起きとくしかないです
布団に入ってから
昔こんなことがあったなぁとか
ファンタジー的なことをいろいろ妄想とか
こんなこと考えてます
脳を休めないといけないのに
こんなこと考えているから寝付けないんでしょうかね?
それで考えてる最中に
今年のバレンタインデーになくなった
じいちゃんのことを思い出して
ものすごく悲しくなりました
ここから重い話になるので注意です
去年の夏に実家に帰ったとき
じいちゃんは普通に元気にしてました
けれど10月頃に親から電話がかかってきて
「胃がんにかかったから近いうちに
1度帰ってきてという」内容でした
それで11月はじめに帰りました
そのとき病院に入院してたのですが
病室にいってじいちゃんの姿を見て驚いたのが
ふくらはぎの筋肉がほとんどなかったことです
夏に分かってから入院して寝たきりの状態だったから
筋肉が衰えたそうです
そのときも悲しくなりました
夏に見たときは元気で普通に山に登ったり
自転車でいろんなところに行ってたのに
2ヶ月でこんな姿になってたからです
病室であったときはじいちゃんは
足の筋肉以外は元気そうでした
でも親に聞いてみるとどんな症状なのか
なぜか詳しく教えてくれません
唯一、年を越せるかどうかわからない
ということだけ教えてくれました
このとき病名は胃がんとしか教えてもらえず
どの位悪いのかは知りません
それから2日病室に通って福岡に帰りました
福岡に帰る前に病室を訪ねるとじいちゃんは
「福岡でも元気でやれよ」って言ってくれました
それに対して僕は
「じいちゃんも頑張ってよ」って言いました
僕はじいちゃんに頑張ってって言ってよかったのか
今でもわからないです
じいちゃんはあの時どう思ってたのか・・・
逝くなら早く逝きたいとおもってたのか
まだ生きたいておもっていたのか・・・
そのときじいちゃんは自分の症状を
詳しく知っていたのか・・・
わからないです
そして年末
じいちゃんは年を超すことができました
僕は地元に帰りました
そのときじいちゃんは入院しておらず
家で寝たきりの生活をしていました
久々にじいちゃんを見ると
全体的に痩せてました
そのときはさすがにあまり元気そうには
見えなかったです
じいちゃんと久しぶりに話して
福岡での生活のこととか話しました
そして年を越して1月3日くらい
僕はその時成人式でした
スーツを来て成人式に行く前に
じいちゃんにスーツ姿を見せて写真を撮りました
そして写真を取り終えると急にじいちゃんは
目元に手を持っていき震え始めました
よく見ると泣いていました
その光景は今もしっかり覚えています
なぜなら初めてじいちゃんが
泣いている姿を見たからです
いつも周りにきびしかったじいちゃんが
泣いているなんて驚きました
成人式の時間が迫ってたのでじいちゃんには
「いってくるね」といって別れました
そのときはじいちゃんの性格を考えてあまり
話しかけない方がいいのかな?と思いました
あのとき他に話しかけたほうが
いい言葉はあったんでしょうか・・・
そして次の日
学校が5日からだったのでこの日に帰らないと
いけませんでした
この日帰る前にじいちゃんと話すと
「頑張ってこいよ」って言いました
僕は「頑張ってくるよ」と返しました
今度は頑張ってねとは言えませんでした
いつ逝ってもおかしくない状態だからです
別れ際に握手をして福岡に帰りました
そしてこれが最後に交わした言葉です
2月12日に親から危篤状態に入ったと連絡があって
14日の夕方なくなりました
次の日の朝いそいで地元に帰りました
亡くなったという連絡を聞いたときは
涙が出てこなかったのに
ひつぎ?に入ってる姿を見たとき
急に涙が出てきました
それからお通夜やお葬式とあっという間でした
いっぱい泣きましたね
孫の中で自分だけを死ぬ瞬間を
看取ることができなかったからです
それに弟や従兄妹達は看病や家での
世話をしてるのに
自分は何もしてやれなかったからです
今思うのは死ぬ瞬間に立ち会えなかったことが残念です
一番悲しいのがこれです
後で親から教えてもらったことは
8月の時点で末期の胃がんだったそうです
はやく教えてくれてもよかったのに・・・
実家の方はじいちゃんが使っていた物はほとんど
片付けてあります
仏壇があるくらいですかね
成人式の日にとった写真はちゃんと飾ってありました
あの頃が懐かしいです
これでじいちゃんのお話は終わりですよ
寝付けないからいろいろ書きましたね
めっちゃ長々とww
しかも書き始めて1時間
どんだけなんさww
今寝たら1限目までに起きれますかね?
きびしいね
眠れないというより寝付けないです
布団に入ってざるに2時間は経ちます
寝たいです
22時から1時半まで寝ちゃったのが響いてますね
しょうがないからもう起きとくしかないです
布団に入ってから
昔こんなことがあったなぁとか
ファンタジー的なことをいろいろ妄想とか
こんなこと考えてます
脳を休めないといけないのに
こんなこと考えているから寝付けないんでしょうかね?
それで考えてる最中に
今年のバレンタインデーになくなった
じいちゃんのことを思い出して
ものすごく悲しくなりました
ここから重い話になるので注意です
去年の夏に実家に帰ったとき
じいちゃんは普通に元気にしてました
けれど10月頃に親から電話がかかってきて
「胃がんにかかったから近いうちに
1度帰ってきてという」内容でした
それで11月はじめに帰りました
そのとき病院に入院してたのですが
病室にいってじいちゃんの姿を見て驚いたのが
ふくらはぎの筋肉がほとんどなかったことです
夏に分かってから入院して寝たきりの状態だったから
筋肉が衰えたそうです
そのときも悲しくなりました
夏に見たときは元気で普通に山に登ったり
自転車でいろんなところに行ってたのに
2ヶ月でこんな姿になってたからです
病室であったときはじいちゃんは
足の筋肉以外は元気そうでした
でも親に聞いてみるとどんな症状なのか
なぜか詳しく教えてくれません
唯一、年を越せるかどうかわからない
ということだけ教えてくれました
このとき病名は胃がんとしか教えてもらえず
どの位悪いのかは知りません
それから2日病室に通って福岡に帰りました
福岡に帰る前に病室を訪ねるとじいちゃんは
「福岡でも元気でやれよ」って言ってくれました
それに対して僕は
「じいちゃんも頑張ってよ」って言いました
僕はじいちゃんに頑張ってって言ってよかったのか
今でもわからないです
じいちゃんはあの時どう思ってたのか・・・
逝くなら早く逝きたいとおもってたのか
まだ生きたいておもっていたのか・・・
そのときじいちゃんは自分の症状を
詳しく知っていたのか・・・
わからないです
そして年末
じいちゃんは年を超すことができました
僕は地元に帰りました
そのときじいちゃんは入院しておらず
家で寝たきりの生活をしていました
久々にじいちゃんを見ると
全体的に痩せてました
そのときはさすがにあまり元気そうには
見えなかったです
じいちゃんと久しぶりに話して
福岡での生活のこととか話しました
そして年を越して1月3日くらい
僕はその時成人式でした
スーツを来て成人式に行く前に
じいちゃんにスーツ姿を見せて写真を撮りました
そして写真を取り終えると急にじいちゃんは
目元に手を持っていき震え始めました
よく見ると泣いていました
その光景は今もしっかり覚えています
なぜなら初めてじいちゃんが
泣いている姿を見たからです
いつも周りにきびしかったじいちゃんが
泣いているなんて驚きました
成人式の時間が迫ってたのでじいちゃんには
「いってくるね」といって別れました
そのときはじいちゃんの性格を考えてあまり
話しかけない方がいいのかな?と思いました
あのとき他に話しかけたほうが
いい言葉はあったんでしょうか・・・
そして次の日
学校が5日からだったのでこの日に帰らないと
いけませんでした
この日帰る前にじいちゃんと話すと
「頑張ってこいよ」って言いました
僕は「頑張ってくるよ」と返しました
今度は頑張ってねとは言えませんでした
いつ逝ってもおかしくない状態だからです
別れ際に握手をして福岡に帰りました
そしてこれが最後に交わした言葉です
2月12日に親から危篤状態に入ったと連絡があって
14日の夕方なくなりました
次の日の朝いそいで地元に帰りました
亡くなったという連絡を聞いたときは
涙が出てこなかったのに
ひつぎ?に入ってる姿を見たとき
急に涙が出てきました
それからお通夜やお葬式とあっという間でした
いっぱい泣きましたね
孫の中で自分だけを死ぬ瞬間を
看取ることができなかったからです
それに弟や従兄妹達は看病や家での
世話をしてるのに
自分は何もしてやれなかったからです
今思うのは死ぬ瞬間に立ち会えなかったことが残念です
一番悲しいのがこれです
後で親から教えてもらったことは
8月の時点で末期の胃がんだったそうです
はやく教えてくれてもよかったのに・・・
実家の方はじいちゃんが使っていた物はほとんど
片付けてあります
仏壇があるくらいですかね
成人式の日にとった写真はちゃんと飾ってありました
あの頃が懐かしいです
これでじいちゃんのお話は終わりですよ
寝付けないからいろいろ書きましたね
めっちゃ長々とww
しかも書き始めて1時間
どんだけなんさww
今寝たら1限目までに起きれますかね?
きびしいね
