頑張らなくていいよ。
よーく聞く言葉。
どういう状況やどういうメンタルに響くかは、想像に難くない。
今日観た映画で「もう頑張らなくていいんだよ」と言われて抱き合い号泣する登場人物が居て、全く共感出来なくて…。
その時初めて「ああ、私ってこの言葉が嫌いなんだ…。」
と、気付いたので、忘れないうちにメモブログをつけておく。
頑張ったのに失敗した。
頑張ったのに一番になれなかった。
頑張ったのにその想いが伝わらなかった。
よくある事。
「もう頑張らなくていいよ。」
という言葉ね。
そうかな?って思うんですよ。
「いや、私は頑張りたいんですよ。だって、その方が楽しいんですもの」ってね。
頑張ったから悔しい訳で。
頑張ったから、じゃー次はどうしようかと考えられる訳で。
ステップアップのチャンスにも、もしかしたらなる訳で。
そりゃー、もう取り返しのつかない事だってありますよ。
でも、私は格好悪くても、周りにどう見えようが、
「自分がやろうと決めて」
がんばりはじめたら、最後まで頑張る方が、
楽しい。
単純に楽しくて充実するし、もしそれが上手くいかなくても、
環境や誰かのせいにもせず
「これだけ頑張ったんだから、まーね。」と、どこかで踏ん切りもつけられる。
やむを得ない事情で挫折したとしても、同じ。
自分はそれまで必死に頑張ったんだから。
(ああ、もちろん【努力の方向性が間違ってた場合】は、残念な自分を叱る訳だけどね。
そして、自分自身に、
あんたすっげー頑張った。よくやった。結果はどうであれ、エラかった。
と褒めるわけだ。
周囲から褒められる事よりも、自分自身充分納得して褒める方がグッっと来る。
本当に努力したかどうかは、自分自身に答えがあるし、他人はよく分かっていなくても簡単に褒めてくれるから。
結果に至る過程で、
自分がどうして、これをしたかったのか。
上手くいかない場合に、
自分は本当はどうしたかったのか、どうなりたかったのか、
時々は冷静に立ち返って確認する作業もまた楽しい。
ああ。そうか。
この言葉がキライな理由がもう一つ。
むしろ、これが理由かも。
私は普段頑張らないからかな。
だから、「頑張らなくていいんだよ」という言葉に、安堵感や救われる思いを持てないのかもしれない。
誰でも生きてる限り、有限ではあるけれど、自分をワクワクさせるチャンスは幾らでも作れる。
ワクワクを増やすには、頑張るというスパイスが私には必要らしい。