場数を踏むことを嫌がる人は、意外と多い。
しかし多くの場合、場数こそが壁を打ち破る最も確実な特効薬である。
私はDVの父親の影響もあり、幼少期は外に出る機会が少なく、極度の人見知りだった。
人前で話すなど、私にとってはあり得ない行為であった。
ところが28歳の時、仕事でお客様の部長以上が集まる場において、90分の講演を任されることになった。
当然、しどろもどろである。
それでも逃げることは許されず、必死にやるしかなかった。
その講演が、年に100回というペースで続いた。
そうした習慣が30年以上積み重なり、低く見積もっても2,000回以上は壇上に立っている。
今でもSHYな性格も、口下手も変わっていない。
しかし、それだけの場数を踏めば、さすがに堂々と話せるようにはなる。
結果として、説得力のある話ができ、それなりに感動してもらえるようになった。
昨年4月に始めた一輪車も同じである。
「こんなものに乗れるわけがない」と思っていたが、何百回、何千回と繰り返し練習するうちに、今ではアイドリングや後ろ漕ぎまでできるようになった。
「塵も積もれば山となる」という感覚を、身体で理解できる。
運の要素が強い麻雀でさえ、場数を踏むと見えてくるものがある。
ネット対戦アプリを使い、毎日東風戦を1回続けてきたが、すでに1,000回は超えている。
麻雀は4人で行うため、理論上トップは4回に1回である。
しかし、自分ではそこそこ強いと自覚していても、1,000回以上の統計ではトップ率は3回に1回程度に留まっている。
この事実は、場数を踏まなければ決して見えない。
個々の局面は、ほぼ運に左右される。
どうしようもなく4位になることも珍しくない。
「ツキが回ってきた」「ツキに見放された」と感じる瞬間はあるが、統計的に見れば、いずれも正規分布の範囲内で起きている当たり前の現象である。
ツキとは、後から結果論として語れるものであり、その最中に意気込んだからといって、次の結果が左右されるわけではない。
人生において、望む姿に近づくためには再現性を高める努力が不可欠である。
そのためには、理にかなった方法で場数を踏むしかない。
再現性のないものに頼りたくなる弱い心を排除することが、最短距離となる。
再現性のないものを信じ始めたら、そこで終わりである。
また、そうしたものに依存する人たちと距離を取る勇気も必要だ。
なぜなら、甘い怠けは必ず伝染するからである。
根拠の薄い陰謀論、占い、運気、宇宙……。
これらを唱える人で、本当に幸せそうな人を私は見たことがない。
気持ちはわかる。楽だからである。
証明しなくていいし、失敗しても責任を取らなくて済む。
その代わり、依存が強くなり、自己承認欲求が肥大化し、幸せPRに貪欲になる。
結果として、それは周囲には痛々しく映る。
平時であれば問題にならない。
しかし、時折訪れる人生の岐路では、効率が効かない中での自力が問われる。
そして重要な選択の場では、再現性の高い人が選ばれる。
再現性を高めるために必要なのは、場数である。
一見無駄に見える反復の先に、確率高く勝てる自分が出来上がる。
楽な道に、成功はない。