前々回の話の続きです

 

東京の会社に入社しましたが、そこは今では考えられない

 

ブラック企業でした

 

と言っても、当時はそれが当たり前でした

 

特に内装業界は古い考えが続いていて、丁稚奉公的なやり方が

 

当たり前でした

 

僕も沖縄から出てきた事もあり東京生活は3年目でしたが

 

社会人生活は初めてだったので右も左も分からない状況です

 

また誰にも負けたくないと言う気持ちが強く、少し気張り過ぎた

 

かも知れません

 

先輩から見ても扱いにくい新人だったと思います

 

僕の主な仕事は当時はFAXを送る事と図面を青焼きする事です

 

もちろん朝のお茶汲みから1日が始まります

 

当時は図面も手書きでそれを毎日、青焼きをして1日が終わる感じです

(青焼きとは手書きトレッシングペーパーの図面を転写させて青い図面にする事)

 

今のコピーみたいな感じです

しかし、これは結構コツが必要で何よりも時間がかかる・・・

 

今のコピーみたいにボタンを押せば終わりという感じではありません

 

そしてFAXは2階のディスプレイ部にしかなかったので毎日FAXを送るために

 

3階のインテリア部から2階へ降りてFAXを送る作業をしていました

 

それが半年続いたもんですから、あだ名が「FAXくん」になりました

 

たまに飲みに行くと飲み物は上司と同じものを頼まなければならず

 

どんなにお腹が空いていても自由に頼めない状態でした

 

しかし今考えれば別の飲み物を頼むと時間差で出てきて皆が揃わず

 

乾杯ができないので、同じ物を頼むように教えてくれたんだと思います。

 

社会人としての気遣いを学ぶ場でした

(そう言う説明は先輩からありませんでしたが、後々そうだったと思うようになりました)

 

そんなこんなで半年を過ぎた頃突然、明日から仙台に出張と言われ初めての

 

出張に行くことになりました

 

仕事は内装の現場管理でしたが一番下っ端なので簡単に言えば雑用係です

 

会社からは4人で行く事になり、その期間は1日も休みなしで1ヶ月続きました

 

その現場は過酷で初めて、人間は立って寝れる事を知りました

 

続く・・・

 

 

via komusuke
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