【伊賀山居の雪景色と莢(さや)からはみ出して見える唐小豆の画像】

 

 「相思 (そうし)」は、盛唐の詩人王維作の五言絶句です。
 「相思」とは、「お互いに思いあう」という意味と「片方が相手を思う」という二つの意味があります。
 また、この詩の中に詠じられている「紅豆(こうとう)」の別名である「相思子(そうしし)」をも意味しています。
 つまり、「相思」と「紅豆」とは掛け言葉になっているのです。

 

 「紅豆」とは、古代支那の王朝からは「蛮夷の地」と呼ばれていた南国の嶺南(れいなん:現在の広東省、広西チワン族自治区、海南省とその周辺)に産する木或いはその木に出来る豆のことで、日本名をトウアズキ(唐小豆)というものです。
 この木には、12月頃に花が咲き、春から初夏にかけて赤い豆ができます。

 

 この「紅豆」を別名「相思子」と称するのは故事に由来します。

 

 その故事を知らねば、この王維の詩は理解できませんので、以下、簡単にご説明します。

 

 昔、山川壮麗で農産物も豊かな嶺南に仲睦まじい若い夫婦が住んでいました。

 この地方は、北方の漢王朝が占領して支配するところとなりました。

 夫は、漢王朝に徴兵されて、雪の降り積もる北方辺塞の守備兵として出征しました。

 妻は、毎日村外れの木の下で、夫の帰りを待ちました。

 夫と同時に徴兵された男たちが次々と帰って来ますが、夫だけは帰って来ません。

 夫が戦死したという知らせを信じられない妻は、何日も何日も木の下で待っていました。

 やがて妻は、血の涙を流して、木の下で息絶えてしまいました。

 そのことがあってから、春が来るたびに、その木には赤い豆が実るようになりました。

 村の人々は、その豆は妻の血涙が凝縮してできたのだと言い交し、その豆を「相思子」と名付けて不憫な夫婦の冥福を祈りました。

 以上の故事を踏まえて、北辺の雪の中から南国に居る妻のことを想う夫の立場で詠んだ詩が、王維の五言絶句「相思」です。

 詩中に見える「擷(つまばさ)めよ」との詩語は、「衣の裾或いはポケットに蓄えよ」との意です。

 

 なお、この紅豆(唐小豆)の皮は木質で非常に硬く、また豆そのものはすり潰して殺虫剤にするほどの毒性が有るので食用にはなりません。

 

 この詩は、紅豆の由来を踏まえて、故郷にいる思い人がそれを採取して鑑賞して、別離の悲しみを少しでも癒して欲しいと願う心情を詠じたものです。

 テキストによっては、この詩中の「君」を「妻」ではなく「友人」と見做しているものもありますが、「相思」「紅豆」の詩語を見れば、多少なりとも漢籍の素養のある者であれば必ず上記の故事を思い浮かべますので、この詩が「恋情」ではなく「友情」を詠じたものと解釈するのは無理筋というものでしょう。

 

 

 相思              
             王維 
紅豆生南國,
春來發幾枝。
願君多采擷。
此物最相思。

 

紅豆(こうとう) 南國に生じ,
春 來(く)れば 幾枝(いくし)を 發(はっ)す。
願はくは 君 多くを 采(と)り擷(つまばさ)めよ。
此の物 最も 相い思はしむ。

 

紅豆は 遙か南の故国に生ずる,
春が來れば 幾つかの枝に実を付けるだろう。
君が多くを摘み取って 衣にくるんで蓄えるよう願っている。
この物こそは この上なく思いあう相思の意味があるのだから。

 

 


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 【唐詩三百首】