もうずっと昔に

気に入っていたTシャツ

黒字にピンクのビッグフォントで


「FEAR NO PAIN!!」  (※痛みを恐れるな)


スケボー小僧のブランドらしく

勢いのある言葉だねとさして気にも留めず

何年も着倒す

十数年後、天地がひっくり返るほどハッとする事も知らずに。




‘キョウフ ハ イタク ナイ‘




ええ、ええ


その通り


まだ来もしない痛みを想像する暇あったら


過去の整理しろってことよ


実り多いお年頃。

















小さな手に、ずっしりと重い、顔と同じぐらいの大きさの ‘シナマン‘ は

皆でテーブルに着き、きちんと皮をむいて、辛子とお醤油をつけて頂く、ちょっとしたご馳走であった



母は横浜の生まれで 折につけ私を連れ実家へと出向いた。

16で免許を取り 女だてらにスバルを駆り 都会の生活を満喫しきっていたであろう彼女の嫁いだ先は

観光地とはいえ 季節が過ぎればたんに退屈な海辺の田舎町

ひと夏の恋の代償としては いささか大きすぎた事を後悔し始めていたのかもしれない


祖母はそんな私たちを迎えるために 中華街へと出かけ

いつだって月餅やらクッキーやら、舶来品のチョコレートやら

小さな孫と娘の喜びそうな物を たんまり用意して待っていてくれた


弾力のある白い薄皮は 

端をつまむと くるりと面白い様に剥けた

食べる前にすべて丸むきにしてしまう私に向かって

それじゃあ意味が無い とからかう様に笑う母


どうしてむくのかと尋ねると
「誰が触ったものだか わからないでしょ?」 と 

こんどは顔をしかめながら言った


私には

たいしてその意味がわからなかったけど

むいたばかりのその白い地肌は

ともあれ ‘清潔なものは魅力的である‘ という条件を絶対的にそなえ

お腹のすいた小さな野獣をとりこにした




大人になって

あの時の シナマン が ‘支那饅‘ であり 

支那とはChinaのことなのだ と知った後でも

港町の異国情緒に味付けされた思い出の 支那 と
経済特区に宇宙的な高層ビルの立ち並ぶメディアからの China は決して繋がることはなかったけれど


時は流れ

現代の支那に暮らす私が居る