会えるまでの3年間より期が明けて来るまでの半年がとてつもなく長くてしんどいんじゃないか?


紺屋高尾
人情噺
傾城に誠なしとは誰(た)が言うた


圓生、談志の口演が良い。
特に談志のものは、圓生版では語られる高尾太夫の打算(源・平・藤・橘の四姓の人と、お金で枕を交わす卑しい身を、三年も思い詰めてくれるとは、なんと情けのある人…。圓生の語り口も良い)を排除した純愛ものになっている。
そんなファンタジーが受けるのか、最近、聴く機会が多い。
ただし、久蔵と高尾太夫だけで結晶していくストーリーではなく、口添えのやぶ医者を面白おかしく語り部にするパターンもあり、興がそがれて好きになれない。

立川流でいけば、談春の久蔵は何だか世間知らずでピュアというより無知な感じが“大丈夫かよ”と思ってしまうほどで没入できない。
談笑の『ジーンズ屋ようこたん』は二人のバランスが絶妙で最高の“紺屋高尾”だ。

ようこたんは、アイドルだが・・・。
華やかな姿はいつわりの姿で、実は嫉み妬みの腹の中、そればかりか枕営業で堕胎も数回。
今回は堕胎云々の部分はカット。
ここの語りで、ドキッとして何だか寂しくなってしまっていたから、この演出変更は歓迎。
そこを抜きにしても、久蔵の純愛が光っていた。
ジーンズにダメージを作る職人の彼だが、新品のジーンズは未完成品、使い込んでダメージが加わってこそ味が出る・・・ようこたんの人生の全てを受け入れていく久蔵、社長に“ようこたんは来ないんだよ”と言われても“自分が信じなかったら、誰が彼女を信じるんだ”と自分だけでも信じなかったら誰が信じるっていうんだという崖っぷちなピュアな切望感に堪えきれず涙がボロボロと出ていた。

CDも出ているし、youtubeにもあったりするのかな?
ぜひ、『ジーンズ屋ようこたん』を聞いてみてください。
そのバランス感覚、落語の何故(矛盾)にいくつかの答えを示す、談笑師匠に注目しています。

昨日の口演は、4席の大盤振る舞い。

『ジーンズ屋ようこたん』の時など、涙や鼻水がきらりと光っていた。
前から5列目のど真ん中で見ているこちらも舞台からも見えていたのかな?
涙腺崩壊でドバドバでしたw


昨日の口演
気が向いたら、『帯久』についても少し書きたいですね。
政談ものも好物なのです。

本日の体重:79.9kg