書いてる途中で消えてしまう。


再度、個人哲学と認知科学、言語、
この三つが素体
自分と同じ事を学びたい人も学びたい事もない 
認知それ自体のこと、学問のバックヤードと共通
する事も、文字化するのもかなりおかしかった。


記号論理+関数

世界について次元、事象、同時微変化


 人間の集合化について
直観像、自然状態、学識についての認識一致
社会制度のもとの社会生活はそのもとにあるはず











モ氏は、



昔、山道を出かけた時の山際の道を進んで対面に見える深緑が連なるあの緑の群れはどうなってるのだろうと思っていた。その場所についに初めて足踏み入れた観覚です。幼児期に空白になった雑な体現教育とかを時間を戻して満たして繋いだ訳でした。


もう行く事は無いと思うと悲しいです。






遠出でもないのに、これが実存ですか。

いが氏は野外活動の為の地理にも長けてたので
自分の未踏の地に感動というのも。
大体位置情報も知らないとき多かった。

任せる方が質の高い体験になる、自分が提案したらほんとクズみたいな場所でしか合わせれないという
より、相手を理解して、相手の好きな場所だから楽しいと言う事なのか、理解不能で恐怖っていうのもあった。





具体的に、
針葉樹と広葉樹の違い
超高度な傾斜の土砂崩れ現場を普通に通る。
やや食べ過ぎだった事だけは使いすぎなのかも、
質素なら更に自然崇拝信仰心が上がったような

ところで、異性にはよく話した方が好かれる事が多い様な気もするし、奴のように話さない方がいいという人もいて、学力差なのかもしれない。
しかし、学力が上のやつは愚痴流しが上手い
ように思ってたけどそうでもない気がしてきた。


とにかく、この地に昔何が沈んで居たのか、
例えば琵琶湖、湖は何百年前に地上だった事から、
歴史に埋まった史実まで理解できた。
普通に危ないどこばっかり。現代的に説明すると言語レスで知覚で学習できる、と言えたい。自分が革新的なそう言う事業してたら尚更に。

ここからは特に環境土木的な、学びだけどどの樹木の樹齢とかつてからの土地の堀削、土壌強度、植林計画、江戸や室町まで遡った民家の建て替え、村と街を繋ぐ街道、山道の開通してた痕跡だとか。村民から郊外までの人間の動きとか移住跡、本場の自然の中での「あれは何」ってやつに、大体答える。
入山口だけじゃない。そういう授業みたいな事をやつは出来る。自然は自然のなぞのままでいて欲しいし、自然の中で暮らしもしたい。でも例えば大型公園に行くと意見合わないと帰れとか着いてくるなとか怒り出す人だから怖いでしたが。




川沿いを何分か奥地まで危険な斜面を降りて、傾斜を下り、沢の近くまだ降りた。


その時の水も綺麗な色してた。周辺の
深緑が反射してる。そう、浅い事らしい






仕事の一部でも、余暇でも、気分転換でもあったらしいので、よくリスケさせて喧嘩になった記憶が多い。



自分は地理的な知識さえも何も知らないんだなと


火を付ける、
火事が危な、ではなく空気が振動して変化するとか
増水する、のは




























家族も含めるとかなり活動系の家でいい人ではある