ちょっと、辛い内容なので、気持ちが落ち気味の方は注意してください
私は心配で、ちょくちょく様子を見に行っていた
そのときは、掃除の苦手な娘なりに暮らしているなぁ。と思っていた
ある時、ゴミ箱に血の着いたティッシュが沢山捨ててあった。娘は鼻血だと言ったが、
シャツの袖には血が滲んでいた。
娘はリストカットを始めてしまったのだ。
その時は話し合いをし、もうやらない。と約束をした(今でもやってるけどね)
5月には大学に行けなくなり、電話に出なくなり、風呂にも何日も入らず一日中布団にくるまり過食嘔吐、不眠からの飲酒(ウイスキーを、ストレートで。)
たまに電話に出たときは、大学行っていたから電話にでられなかった。と誤魔化していたと後から知った。
そして、
その年の秋にアパートのドアに紐を…
娘はその紐に首をかけた
泥酔していたのか、紐が結べていなかった為
首から紐は外れた。
我に還った娘は友人に電話をし、その夜は友人が付き添い夜を明かしたらしい。
翌日、大学の保険医に相談し、実家に帰りなさいと言われて
家に帰ってきた。
私が上記の話を知ったのは、娘が帰宅してきてからだった。
大学にはほとんど行っておらす
試験もボロクソな結果だったのは、学年担当の先生から話があり、辞めますか?まで言われていたから知っていたが、本人は退学はしたくない。頑張るからと言っていた。
だから、そんなことするとは思ってもいなかった。
メンタルクリニックに受診した。
娘は休学はしないと強く希望したので、
大学に通いながら通院となった、私が片道数時間かけて送迎するのだ。
娘は、ほんの少し改善したかのように思えた
だが、その年の冬に今度は薬の過剰摂取。
夜中の1時にラインがあった。
寝れないから薬を40錠飲んだ、朝起きられるか心配。7時に電話ちょうだい。と。
すぐに吐き出すように電話で指示したが、吐けないと言う。とにかく、大量に水を飲み
吐き出せ。と、指示し、旦那とアパートまで向かった。電話は通話したまま。意識もあり、意志疎通も可能だったのが救いだった。
家に連れ帰り、大学はしばらくお休み。
春休み明けるまで自宅で療養した。
新年度になり、娘は大学に戻ったが、夏前にはまた、同じようになり、部活の合宿中に限界だ。迎えに来て❗と、泣きながら電話があった。
志賀高原まで迎えに行き連れ帰ってきた。
(私、一人で迎えに行った)
で
大学は辞めた。
家でも、ODも何回かやらかし!
1ヶ月半の入院もした。
今も、リスカも、酒もタバコも止められず
バイトもせずに、家にいる。
小さいときから、頑張りやさん、気配りができる、優しいって言われていた娘は、一生懸命に頑張った結果が、今を作り出していると思うと悲しくなる。