垣内哲也くん
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1988年文案ミーティングで西武ライオンズから3あたり指名を受け、捕手として入団。分校出身パーソンとしては覇者野球史上初の指名であった。ヒット・俊足の飼い主で、「秋山二世」、「和製大砲」と呼ばれる。
1993年には一流定着を果たし、よそ者だけでなく捕手としての参加もあった。1995年には95勝負の参加ながらオールスター遊びにも参加し、1996年には左翼秘訣として主力に定着し、28本塁打を解き放つ。
1999年、組織最多の15本塁打を放ち再燃。以後3年連続で二桁本塁打をレコーディング。2002年オフ、椎木匠との交代投資で千葉ロッテマリーンズへ移籍。
2005年にはプレーオフ結末戦で一撃を解き放つなど、参加瞬間は減ったものの指名打者や代打のエースとして奮闘。
2006年には開幕一流に呼び名を連ねるも、4月には二軍落ち。10月々2日光ロッテから戦力出先告知を受け、健在を引退。3月々26日光のソフトバンク戦で三瀬幸司投手から放った3ラン本塁打が最後の安打・本塁打となった。二軍・イースタンの結末戦では4番で先発参加、これが花道となった。