お久し振りの方はお久し振り。
そうでない方ははじめまして、こんにちは。
数年前に携帯を水没させてから長い間連絡が取れなかったり、引越しで年賀状が紛失したりして、色々な人と連絡が取れなくなったのですが、今こうして自分から何かを発信して繋がることで近況を知ることが出来て嬉しく思います。
この場を借りて少し昔話と自分語りをすることをお許しください。
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元々中学の時から鬱傾向があり、市販の風邪薬を過剰摂取したりすることで、自分を騙し騙し生きていました。
その原因としては、家庭環境と自分の性別に因るところが大きかったと思います。
大学の道徳の時間で『機能不全家庭』のレッテルを貼られ、通院を始めた精神科で『家庭環境の乱れ』と診断された今でも、自分の家族は世界一優しく理想的な仲の良い家族と思っているので、家族の悪口はこんなところでは書けません。
なので、性別の絡んだ昔の話を。
一つの小説を読むような心地でお付き合いいただけたら幸いです。
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幼稚園の頃から、男の子のような遊びが好きでした。ブロック遊び、トミカ、ロボットの玩具、仮面ライダー、そんなものばかりで遊んでいました。
ですが、何故かそれらのカッコいいもので遊んでいると、親の顔が曇るのです。幼稚園の先生も、「もっと女の子らしい遊びをすれば?」と提案します。
だから僕は、そういった「男の子」の遊びをするのは『いけない』『ダメな』ことなのだと思い、いつしか人前で自分の好きな遊びをするのはやめてしまいました。
小学校に入ってできた初めての友達も、男の子でした。一緒にロボットごっこなどをして、戦って遊んでいました。
ザリガニ釣りに誘われた時は嬉しかったです。仲間として認めてもらえたんだと。
ですが、それを見ていた他の男の子達に「赤いランドセルの癖に男子とばっか遊んでいる」と茶化され、それから帰り道ランドセルを持たされたり、水鉄砲で追いかけられ頭から服までびちょびちょにされたり、豚と呼ばれ四足で歩かされたりするようなことが起こりました。
まあ、平たく言えばいじめです。
その時に「ランドセルが赤くさえなければ」と死ぬ程恨んだのを覚えています(買う時に何度も既に嫌がっていたのもあって)
そんなこともあって、気が付いたら、男子と遊ぶのはやめてしまいました。遠巻きにちょっかいを出すぐらいしかできませんでした。
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そんないじめは1年生の間で終わりました。今まで誰もが僕がいじめられているを見て見ぬフリをしていたのに、2年の時に来た気の強い転校生の女の子が、まだ話してもいない僕のことを庇ってくれたのです。
いつも僕を庇い助けてくれるその女の子は、僕にとって、幼い日にTVで少しだけ見た、憧れのヒーローにそっくりでした。
その子と僕は家が近所だったこともあり、すぐに打ち解け、仲良くなりました。この子のように気が強ければ、面白ければ、僕もいじめられることはなくなるのだろうか。
はじめは、そんな憧れだったのかもしれません。
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その頃はまだ打算的で、それを恋心と称するには抵抗があります。
転機となったのは、その子がまた転校して、しばらく経った小学5年の時です。
新たに転校してきた気の強いボス猿のような女子に、僕は非常に気に入られました。
どれくらい気に入られたかというと、僕と仲の良かった友人を皆排斥して、自分だけのものにし、更に事ある事に性的なちょっかいを掛けてくるぐらいです。
またいじめられることを恐れた僕は、そのボス猿の所業について見て見ぬフリをしました。1年の頃からの友人が、友達を奪われていく様をぼうっと見ているしかできませんでした。
それは、1年生の頃、僕が恨んでいた周りの人間と、同じ行動でした。
そして、あの時もこの時も、教師はひたすらに役立たずでした。
この時に、僕は自分が強くなり、弱者を庇える人間になりたいと、漠然とそう考えていた気がします。
ですが、現実の自分は相手にされるがままで、誰かを助けることなんて出来ませんでした。
自分に好意を寄せているその子に、段々と絆されていっていたのです。
でも、そんな初恋の思い出は、他のエピソードと相まって、僕の心に深い傷痕を遺しています。
その子に色々なことをされた体育倉庫、多目的室、図書室、そのどれもが、トラウマのようになっています。
特に「こんなことをしていても、子どもはできないんだけどね」というニュアンスのことを寂しげに言われたことが、辛かったです。
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その発言がきっかけで、僕は人に好意を伝えることに臆病になってしまいました。
「どんなに僕が誰かを好きになっても、その人とは子どもを望めない」
「女の人というのは、愛する人と子どもを持ちたいものなのだ」
図書室での一言から、僕はそう考えるようになってしまいました。
でも、そんなのは他人のせいにしてるだけで、後付けの言い訳かもしれません。
結局は、自分が女性が好きだということがバレて、拒絶され、いじめられるのが、怖かっただけなのかもしれません。
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ボス猿は転校前の学校の仲間とつるんで、中学になったら僕のことなんて目もくれませんでした。
まあ元々相手が勝手に押し掛けてきて始まった関係だったので、何の感慨も抱きませんでした。
でも、女の子の可愛いところ、素敵なところは全部そいつが教えて残していったんです。
そんな残滓を抱えている僕は、当然中学で好きな女の子が出来ました。
その子と距離を詰めたくて、でも臆病な僕は踏み出せなくて、結局は自分が傷付かないで済む親友の立場に収まっていようと、そう考えていました。
そんなことをしているうちに、親友ポジションの僕は「今度後輩と付き合うことになった」という話を聞かされるんですよ。
その時になって、ようやく後悔するんです。
「なんでちゃんと自分の気持ちを伝えなかったのだろう」と。
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そして、それは高校でもそうでした。
その子は割と僕に理解が深く、色々と相談に乗ったりもしてくれている子でした。
中学では細やかないじめはあったけれど、高校では無かったこともあって、僕は中学の時の悲しい体験を繰り返さないように、今度こそ想いを伝えるつもりでした。
ですが、それを伝えようとした帰りの道すがら「実は二日前に〇〇くんから告白されて付き合うことになった」という話を聞くハメになるのです。
ええ、それもこれも、僕が親友ポジションだから!!
そして、僕は親友だから言うしかできないんです。
「おめでとう」って。
結局僕はまたうじうじして、想いを打ち明けるチャンスを逃したのです。爆笑。
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それから僕とその子との関係は変わってしまいました。
放課後の勉強会でも、彼氏との話ばかり。
またその彼氏というのがちょっとした変態で、ぶっちゃけ(いやもうこれはやっかみとかそういうの関係無しに傍から聞いてて)キモい。
「はぁー、何でそんなキモい奴と付き合ってるんだ君は。そんな奴やめて僕にしろよ」
今の僕なら冗談交じりにそう言えますが、その時の僕はひたすら臆病でした。
「どんなに僕が誰かを好きになっても、その人とは子どもを望めない」
「女の人というのは、愛する人と子どもを持ちたいものなのだ」
そんな小学校の時の思い込みが、僕を固く縛るのです。
僕はその子の話を聞きながら、ずっと彼氏を殴りたい気持ちでいっぱいでした。
いや、だって、人の彼氏にアレコレ言うのはまずいけどさ、客観的に見てあいつはちょっと変態だぞ。
でも、そんな変態でも僕よりドラム全然上手いし、いい奴なんですよ。
親友ポジションの僕はそんなことを考えているばかりでした。
でもその子の彼氏の話を聞き続けるのが、しんどかったんです。
だって、自分もその子のことが好きなのだから。
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そして、僕は考えました。
「どうすれば、自分が一番彼女の邪魔にならない状態で一緒にいられるのだろう」と。
出した結論がこれでした。
「他の誰かを好きになって、その子の話を僕もしていれば共通項が出来て盛り上がるのではないか」
好きな人を諦める為に他の好きな人を作ろうとしたんですね。
僕は結構周りから人たらしと言われるタイプの人間なので、相手はすぐに見つかりました。
でも、その子のことは好きじゃないんです。
話も合うし、見た目もいいはずなのに、
僕の心は高校の同級生に彼氏持ちに、向いたままなのです。
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大学に入って知恵の付いた僕は打算的になりました。
彼女とは1歩踏み込んで作るものだと学びました。
過去の経験から僕は想いを伝えるのは早い方がいいと学びました。
そうして、次に気になった人が今の彼女(?)になります。
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彼女は変です。
一口に言うと、変。
僕が何してようと構わないんです。
僕が他の女の子と遊びに行っても、何も気にしないんです。
用事でたまによその人といっしょでも気にしない変な人です。
それを変と思う自分が束縛しすぎているのでしょうか?
はじめてまともな恋愛をした僕にはわかりません。
でも、僕が他の女の子に手を出しても、妬いたりせず、「最終的に自分の元に帰ってくるからいいでしょ」と言っちゃうのはへんだと思います。
それで僕は大学生という好き勝手出来る肩書きを手に入れ、いじめられる心配も無く健全に恋愛ができるようになったわけですが。
ダメだったのは大学の方でした。僕はいじめられるような子供の味方になりたかったのに。
あの日僕を庇ってくれたあの子のようなヒーローになりたかったのに。
教員志望って言っても高校生に毛が生えた程度のお子様なんですよ。
だから平気で19歳以下が8割なのに飲み会とかするし。
教育実地研修で授業を見学させてもらっているのに、ダンス部の池田くんはダンスの振り付けを練習し始めたり。
用語学級の補助に行ったときに、みんなが遊ぶトランポリンを調子に乗って壊したり。
こんな馬鹿な奴らが先生になるんなら、日本の教育は何も変わらないと絶望して。
その時家庭の環境があまり良くなかったこともあって。
家出してしまいました。
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家出した時の記憶はうつがひどかったのであまりありません。
ただ、カウンセラーさんとの相性が良くなくて解離性人格障害まで発症したり。
夜中の3時に恋人に電話を掛けて、「今から死ぬから来て」と言ったり。
ベランダから腐った卵を駐車場に向けて投げたことぐらいしか覚えてません。
同時に現実逃避のために始めたまだ合法な薬が良くなかったのかもしれません。
でも、何とか復学したくて、居場所を突き止めた親に無理を言って、横浜国立大学の近くで次の一人暮らしを始めました。
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しかし、復学初日に捻挫。
3週間のギプス生活と、復学者への冷たい対応に、僕の学習意欲は撃沈しました。
元々、教師になろうなんて言うのが適性がなかったんです。
「女の先生? 男の先生?」って聞かれるのも苦痛だったし。
大学にもなってまでやらされる男女のグループ分けも嫌だったし。
そこでようやく僕は、学校が嫌いだったんだってわかったんですね。
好きだったのは、一緒にいた友達だったのだと。
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そして、僕は今夢を見失い、この歳になってうろうろとしている状態です。
教師になる一心で身に付けた教養も、薬のせいで抜けていくばかりで。
バイトでしごかれた経験から仕事をすることにも臆病になって。
ただ、昔から好きだった物語を綴ることと、パソコンを弄ることを軸にして。
何かができたらいいなと、法政大学日本文学科(通信制)で勉強しながら(ほとんどしてないけど)同人誌を発行したり、動画を作ったり、そういうようなことをしている感じです。
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掻い摘んで、僕の物語は終わりです。
これを読んだ皆さんが、僕に興味を持ってくれて、もっと話を聞いたりしてくれたら何よりです。
クズでゴミでニートてダメな僕だけど、これからも、よろしくお願いします。
