先日国有形文化財修理技術者等講習会で
宮城県の気仙沼に行って参りました。

2011.3.11
東日本大震災で気仙沼の内港地区と呼ばれる
北前船の風待ちで栄えた町は
建物の1階部分を大きく波に浚われ
建物は流され傾き流失しました。
震災前は13あった歴史的建造物は
公費解体の期限に所有者自身も
再建の目処や予測がつかない中、
解体をされたのです。
建物が保存再建された(これからされる)のは6件。
そのうち5件は国の有形文化財だったそうです。
所有者の方のコメントで
再建を進められたとき、恥ずかしい、日とに迷惑を掛けるのでは、と様々な思いが込み上げたそうです。
更地になった町に新たな町が生まれつつあります。
重機が行き交い、道路はまだ未舗装です。
危険地区に指定されたその場所は住宅の再建は不可能です。
そこに町の記憶を残す建物が建っている意味。
それはとてつもなく多きな意味があるのだと思います。
町が書き変わる。
それは被災した地域でなくても常に起こっているのでしょう。
その中に紛れ残されている宝物を
私たちは意思をもって未来に繋げないといけないのだと思います。
活用を考えるのは今ではなくとも
残しておくこと。
私たちの土台となった歴史や町の成り立ちを
更に未来に引き継ぐこと。
それも私たちの仕事なのではないでしょうか。
そして文化財の指定への道を探ることは
その意思を表すひとつの方法なのだと思いました。
つぼくらなみ