旧作を知らずに

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「凄いな」と思ってい

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今年の夏は忙しくて、お盆も仕事が詰まってました。
13日の仕事を終え盆過ぎてからゆっくりしよかみたいな感じで気合いを入れなおし床につきました。
14日明け方雷雨の音で目が覚めて、なにげなく眼下の道路を観ると抹茶色。
一面泥で埋まってる。
西側の窓から見ると、うちに上ってくる坂道が濁流に変わっていてゆっくりと自動車がながれて電柱でとまった。
電気は夜中に停まっていたようだ。
そのうちに人々のざわめきが外から聞こえ出し、自分も屋外へどうやら、坂の上の山が崩落して土石流が出たようだ。
坂道に駐車していた車が流木や瓦礫に押されて電柱でとまっていた。
その後、坂を下り唯一の村田舎ですから。
の出口道路へ行くと土砂と濁流が胸のあたりまで道路に流れ出て、電柱や家がなぎ倒されて完全に寸断されていました。
呆然としながらも終りよったなと軽口を叩いてたけど、テレビ画面以外で見る光景に内心ビビってました。
うちの炭山地区は一応宇治宇治茶の宇治です。
なんですが山の谷あいにあり4本の道路で宇治や京都、そして滋賀県につながっています。
その4本すべてが土石流や崩落で通行不可になりました。
ライフラインもすべてアウト。
真っ暗やみの夜を迎え、その後5日ほど孤立状態でした。
支給品の食料等はヘリで配給されていましたが行政の対応は悪く、地区内の道路の復旧は全て自分たちでやらないといけない状態でした。
外の情報も一切入ってこず、いったいどこまで救援が進んでいるのかさえわからず高齢者や子供たちは不安の真っただ中でした。
悲惨な情景や状態を思い起こすのは省略しますが、携帯電話がつながるようになった時のメールや着信を確認した時の皆の心配に、ほんと心うたれました。
普段こちらから連絡もしない友人達や、仕事仲間、マイミクさんようやく一本だけ開通した危険な道を通って、地蔵盆も出来なかった子供たちに大量の菓子や飲み物を届けに来てくれ割り切り出会いサイト 性の解放区た友人たち。
山を降りた僕に、箱いっぱいのバナナを託してくれた食堂のおかあさん僕の支えになってくれた人感謝でいっぱいです。
まだ復興は途中ですが、仕事も再開し今月のライヴもうたいます。
まあ、いろんな事が起こります。
この時代、何が起こっても不思議じゃないですよね。
桑名正博さんが言ってました。
人類の最終兵器は、あんたの心やで。