父の放射線治療が終わってそろそろ3ヶ月になる
治療そのものは癌センターで行ったが、経過観察は近所の泌尿器科で行う事になっている。そこで、先日CTで現状を調べたところ、癌は縮小(それでも膀胱全体の半分以上の大きさがある)しており、血尿もおさまっている、ということで
放射線治療の成果が見られる、という結果になった。
癌を苦にし、癌の恐怖に日々脅かされている父はたいそう喜んでいたが、私は父の心情が正直あまりわかっていないし、わかるのが難しい。だって、「転移さえなければ、膀胱にある癌だけで死なないだろう?!」と思うから。
癌がある事は不愉快であろうし、怖いだろう、でも転移が無くすぐに生命の危険がない、という状態を、もっと感謝(神とか、運命とか)すべきではないか、と、数々の癌ブロガーさんの闘いを読んでいる私は思ってしまうのである。
でも、父は「癌がある」「癌が大きくなっている」「癌のために出血がある」ということがとても苦痛らしく、「自分はいつまで生きられるのか」ということばかり口にするし、ささいなことで激昂したり、不眠になってみたり(もともと神経症になりやすい性格)、正直周囲は
めんどうくさい・・・ という気持ちが優勢になっていた。
それが、今回の治療成果を告げられた事で、本人は私たちが思っているよりも、はるかに心が晴れやかになったらしい。「いや~~これで○○子(私の娘)の中学校入学式を見れるくらい生きられるかも!」と言いだし、2~3日置きに通っているカラオケスナックに行く足取りも軽くなった(らしい)。
それでも、放射線治療の後遺症?と思われる症状はチラホラ出ている。肛門の周囲、そ頸部の周囲がピリピリと痛むらしく、さらにトイレの遠い父が、「トイレが我慢できなくなってきた」とこぼすようになった。尿意が起きてからが我慢できにくくなってきたらしい。
それでも自力でトイレに行けるわけだし、深夜までカラオケスナックに入り浸れるわけだから、元気なものである。83歳という年齢を考えたら、放射線障害なのか、老化現象なのか、どちらともいえないような気もする。
父を見ていると、癌になることでその人の生き方、考え方、有事に立ち向かうときの姿勢、というものが浮き彫りになるのだなぁと思う。もし私が癌になったらどうするのか、自分はどう生きるのか、家族や周囲の人とどうかかわるのか・・・日々考えさせられるのである。