70年代から80年代中頃までをメインに思い出に浸る今日この頃です。
浅野ゆう子ちゃん1975年 昭和50年10月 週刊誌です。なんと、15歳!1980年代以降、女優として大成功するんですよね。初々しい可愛さと、抜群なスタイル、未来を予感させます。オリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
山口百恵ちゃん1974年 昭和49年9月 週刊誌のピンナップです。とっても可愛いです。人気が急上昇した頃、ひと夏の経験、ちっぽけな感傷を歌ってましたね。中日が巨人のV10を阻止して優勝、長嶋さん引退の年です。オリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
ピンクレディー1977年 昭和52年2月の雑誌表紙。人気のバロメーターとして、雑誌の表紙が顕著でしたね。ピンクレディーが表紙を飾った本が氾濫していました。表紙を飾った写真は良いものが多いです。下は1977年 昭和52年6月の雑誌表紙。上と同様文字を整理しています。元ネタを単純にスキャンしたものが下になります。
石野真子ちゃん1978年 昭和53年10月の雑誌グラビアです。17歳の時の彼女です。デビュー時のキャッチフレーズは100万ドルの微笑。八重歯がチャームポイントでした。同じ雑誌グラビアです。1979年 昭和54年9月の雑誌グラビア。榊原郁恵ちゃん、大場久美子ちゃん。3人は当時の人気アイドルでした。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
榊原郁恵ちゃん1979年 昭和54年9月の雑誌ピンナップ。20歳の時の彼女です。元気、笑顔、健康的がキーワードでしょうか。レコードセールス以上に存在感があったと思います。同じく1979年 昭和54年10月の月間雑誌からのグラビアです。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
柏原よしえちゃん1981年 昭和56年4月 雑誌のピンナップです。彼女は当時15歳。この頃から頻繁にグラビアを飾っていました。下は1981年 昭和56年5月の雑誌グラビアです。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
松本ちえこちゃん昭和51年(1976年)11月の雑誌ピンナップです。格別に可愛いわけでなく、美人でもないんですが好感度がピカイチでした。同じピンナップの裏面です。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
山口百恵ちゃん1974年 昭和49年8月 雑誌の見開きグラビアです。15歳とは思えない色っぽさ、健康美って感じです。当時は左右ページの色合いに大きな差異があり、補正しても結合させると違和感が残ってしまいます。こういった場合は無理に結合はさせません。下は1975年 昭和50年7月 雑誌の見開きグラビアです。こちらの場合は、ほぼ左右の色合い調整が出来たため結合しています。今見ても、百恵ちゃんは魅力的です。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
ピンクレディー1977年 昭和52年2月の雑誌グラビア。急旋風を巻き起こし、社会現象とも言える状態を作り出した彼女たちです。TV、ラジオ、雑誌、玩具、食品、衣類等、ありとあらゆる分野に広がり、今では考えられないレベルの人気でした。同じく1977年 昭和52年3月の雑誌ピンナップ、第2弾シングルSOSの頃です。同じく1977年 昭和52年3月の雑誌ピンナップです。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
山口百恵ちゃん1974年 昭和49年7月 雑誌のピンナップです。当時15歳の彼女、この後の活躍が納得できる可愛さと美しさです。同じく1974年 昭和49年9月 雑誌のグラビアから。いずれもオリジナル感を損なわないレベルでデジタル修復しています。
キャンディーズ昭和52年9月のオムニバス写真集のピンナップです。人気絶頂だった彼女たち、カラー違いのビキニが可愛いです。昭和52年8月の雑誌グラビアから。オリジナル感を損なわずに画像修補正しています。アップロードはサイズ縛りがあるため面積率10%以下まで落としています。