この曲を聴くと涙が溢れそうになる。


だんだんと頭のなかに水が満ちていって

脳みそがぷかぷかしてる。

その水は生き物のようにとても敏感に
温度が変化する。

そして懐かしい匂いがする。

その水が目から溢れそうになるのだ。


気がつくと水は身体を優しく包んでいて

自分自身もぷかぷかと浮き

曲のおしまいには

このたおやかなぬくもりから

ゆっくりと押し流される

そんな優しく甘くかなしい曲。




アルバム「Split The Difference」では
この曲の次の曲"Catch Me Up"が
「こんにちわ、こんにちわ、君に会えて嬉しいよ」って
新しい世界への誕生を
力強く迎えてくれる。




この歌の詞は恋愛の別離を歌ったものだと思うけど



甘ったれててどうしようもないけれど
この世に産み落とされた誰もが
無意識的にも意識的にも心のどこかに持ちつづける想いをうたった
母へのバラードだと思う。
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ソウルワックスの「エニイ・ミニッツ・ナウ」を聴いてる。
2many DJsの方では
かなりウハウハさせてもらっていたが
ソウルワックスの方はこれをはじめて聴く。


ううぅ
きっと自分のツボなんだろうなとは思ってはいたが
初っ端からやってくれる。
1曲目のイントロから、ハートをぐいぐい鷲掴み。
ヴォーカルがその上にふわふわ乗っかってる。


とにかくダンスとロックの良いとこどりなのだ。
まるでお子様ランチのよう。
好きなものいっぱい飛行機とか新幹線の形の皿の上に乗ってやって来る。
一見ばらばらなようで
見事なバランス。


「おかあさんといっしょ」のにこにこぷんを音楽的ルーツに持つものとしては
とても血が騒ぐ。
にこにこぷんは
ダンスとロックのベタベタな部分だけをまぜこぜにして
あくまでもポップに味付けして
子供たちに放り投げていたような気がするのだ。
そこがソウルワックスと重なる。
多分子供に聴かせてもふにふに踊ると思う。


人力ダンスチューン。
Lcd soundsystemとか好きだったら確実に好物。
途中からニルバーナとかフー・ファイターズの香りも立ち上ぼってくる。



このアルバムをリミックスした「ナイト・ヴァージョンズ」でパーティしたい。
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初めて生のイアン・ブラウンをみたのは去年のサマソニ。

あまりの迫力に震え上がり背筋が凍った。

ストーン・ローゼズの頃の曲やってくれたりするの嬉しかったけれど


客を煽る姿は
まるで猿山のボス

俺に服従しねぇやつはどこだ
と言わんばかりに

山の上から
客席を監視し
手を挙げてない奴見つけたら


ヒトリノコサズブッコロース!!


みたいな緊張感が。



大阪会場だったので
イアン・ブラウンは2日目。
私的サマソニのとりを飾ったのは彼だったのですが
(角刈りになったグンゼ大佐には恐れ多くて近寄なかったんだ・汗)

2日間の記憶をかっさらってった。
その後放心状態で帰宅。



生のイアン・ブラウンは数十倍こわい。



一切感情が読み取れなかった。


仙人なのか?




個人的にストーン・ローゼズんときより
ソロの作品のが好き。

ゆるゆるとピリピリという矛盾が絶妙なバランスで同居してる。

ゆるゆるのなかにあるピリピリするものは一種の緊張で
本人から出てるオーラみたいなもんなんだと思った。

ゆるゆるが身体も心もほぐして
ピリピリの成分が気持ちを鼓舞してく。
だるいんだけど何とも言えない高揚感。
疑似恋煩い。
もしや、これ、世界を手中に入れる秘策?
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FRANK ZAPPAのFreak Out!を久しぶりに
ヘッドフォンで聴いたら
背筋がぞくぞくして鳥肌が。



やっぱり、きもちわるい。



そしてゆかい。



この場合の[きもちわるい]は褒め言葉で
嫌いというわけではない。



むしろ好き。



いや、大好き。




ただきもちわるいんじゃなくて


なんていうんだろうな


愉快 痛快 軽快に
きもちわるい。



きもちわるい の巨匠だかんねぇ。
きもちわるい のセンスがずば抜けて突き抜けまくとっります。


だからといって
きもちわるくて聴きにくいなんてことはなく
とてもポップで聴きやすい。


するすると
煙の様に
からだの中に入り込んで
脳をこちょこちょする
だから
くすぐったくて
にやにやしてしまう

そんな感じ。
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最近、ある友人が黒澤明にどっぷりハマっている。

これまで授業でちらっとしか見たことがなかったが、
友人のあまりのハマりっぷりに負けた。


最初にみるなら「椿三十郎」と何度も言われていたので
借りてみた。


最初セリフが
慣れない言葉というのもあって
聞き取りづらくかったが
次第に慣れて
するすると世界に引き込まれていった。


ハマる訳がわかったような気がした。


西洋の文化にどっぷり浸かっちゃってて
日本人なんだか何なんだかわかんなくなってたけど
もうDNAレベルで
侍の美学とか哲学みたいなものが
埋め込まれてるんだと
思った。


日本人でよかった と思った。


ただかっこいいんじゃなくて
映像が綺麗なんじゃなくて
ユーモアが散りばめられてるのがいい。
何度も笑った。

そして、伏線とかも巧みでうまかった。



「裸のランチ」を観てから
鬼才って言われてる人を疑うのが癖になっていたが
黒澤明は素直にすごいと言える。

もっと日本映画を観てみようと思う。
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とてつもなく似ていないが許していただきたい。


友達に焼いて頂いたストロークスの3rdを聴いている。

初めて聴いたときは正直笑ってしまった。

ジュリアンの声が意図しないとこで裏返ったり。

計算ではない笑いが満載。


でも
今までのアルバムより
のびのびしている。

ジュリアンのヴォーカルも
今までよりリラックスしているような感じがする。


このアルバムは
ストロークスの進化の[結果]じゃなくて
[途中経過]だと思う。


ストロークスはこの後
とてつもない進化とげる


気がする。




進化の過程は滑稽に見えるものだと思う。

足の生えてきたオタマジャクシだって

蝶のサナギだって


へんてこに見える。


そういえば
中学生や高校生の頃は
大人に変だ、滑稽だと
言われ続けていた。


へんてこってことは常識的な状態ではなく
何かを超えようとしている。

何かと闘ってもがいているんだ。
それが他者からは滑稽にみえる。
闘っている対象が目に見えなければ見えないほど。


でも、
そこで笑われたって
かっこをつけなければ
逆にかっこいい。

ストロークスの3rdから学んだ。


最近、自分の中で
物凄いエネルギーの量がまた動き始めてる。
これからまたサナギになるんだろう。

滑稽だと笑われたって
かっこつけないで
ありのままの強さを見せつけてやろうと思う。
最近つくづく思うこと。

どうしても許せなかったり
生理的嫌悪感を抱かざるをえない
音楽の趣味を持つ奴とは
うまく付き合えない。

もう別の生き物と考えたら
楽なんだろうか と思う。


どんなことも、尽く意見が食い違うし

理解が及ばない。


ここは踏み込んではいけないエリアと
暗黙の了解で定まっているような
人のナイーブな領域に
土足で上がり込んできて平気な顔をしていたり。


とにかくそんな奴に近づくと
やたらに傷つけられる。
それも善人ヅラで。

本人は気づいてないんだから仕方ない。



近付かないのが一番だ。


最近のJ-popの歌詞がいいとか
言ってる奴は要注意だ。



そんな自分はパンク小僧。
ジャムとかバズコックスとか好きだけど
今のパンクと言われる音楽聴きまくる訳ではござません。
パンクの精神だけ受け継いだ小僧。

権力に歯向かい続けて
うまく世の中を渡れないでいると
やっぱり傷だらけになるものです。
もう毎日ずたぼろな訳です。




ああ、この傷癒したい。と
時々思うのです。

音楽もTPOが大切。
こんなときは音楽の温泉に浸るのです。


それはブルースであったり
ジャック・ジョンソンであったり。



今日はライ・クーダー。

ヴィム・ヴェンダース監督、サム・シェパード脚本の映画
「パリ・テキサス」
のサントラやったりしてるひと。
そのひとの映画サントラばっかり集めたアルバムを聴いてる。


アメリカのむせかえるような土臭さとドライさが
部屋の空気ににじんでく。
まだ日が暮れないような時間に
テキサス辺りのうらぶれたバーみたいなとこで
強いお酒を独りで呑んでる感じ。


とても、ええです。




そういえば
「パリ・テキサス」のヴィム・ヴェンダースとサム・シェパードが
20年ぶりに組んだ映画が公開される。
音楽はライ・クーダーじゃないのかなぁ。
ロス→テキサスのバスの中で
BECKに会い

ものすごく、にこやかに

何故か

日本語で語り合い

盛り上がる。

しかし

話の内容は覚えてない…


やっぱりほっぺが赤く
キュートだった。


あくまでも夢の話。


で、
テキサスに着いてから
ホテルでテレビを見ていたら


U2が

全員

豹柄のレオタードで

楽器も持たず
ステージの上に斜めに並んで

物凄い踊っている。

え。
と思ってたら


ボノが出てきた。


もちろん

豹柄のレオタードで。


大熱唱。


しかし何故ベビシャンの曲なのだ。


あまりの怖さに目が覚めた。
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今日は節分。

というわけで、コンビニに巻き寿司を買いに行った。


物凄い雪で
コンビニまでは横断歩道を一つ渡るだけなんだけど
かさ地蔵みたく頭に雪が積もりまくり。


まるで甘酒の鍋ん中みたい。


もっと別の表現ができないのか、自分。


と、思っていたら
とうとう鼻の穴に雪が入った。

情けなさが増す。



季節の節目のイベントには弱い。
特に食べ物にまつわるとなると…
もはやムキになって
これでもかと季節の波に乗りたがる。


そんなこんなで
今年の恵方:南南東に向かいひとりもくもくと頬張る…


ちょとまて。
願い事。
うわ、これから1年が全く見えない…
とりあえず
えげつない程の理想を描いてみる。
あーあ。
うさんくさいケド、まあいっか。
とりあえず今年1年無事に生きてますようにってことだ。
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今、赤瀬川原平の「老人力」を読んでいる。


偶然、図書館で「超芸術トマソン」を見つけたとき、衝撃を受けた。

実は、トマソンを知らなかった小さな時から、私はトマソンを見つけてはにやにやしていたのだ。
何度か友達に伝えようと試みてはみたものの
ふぅん、何がそんなに面白いの と理解されず
究極のひとり遊びとして胸にしまいこんで
街をぶらぶらして見つけては心のなかでクスクスと笑い続けていた。

それをこの人は名前を付けて分類までして本にまとめあげている!

この、冗談を冗談を超えた世界に昇華させてしまうという暴挙ともいえる強引さにびびりあがった私は
恐れ多いものの勝手に師と仰ぐことにしたのだ。


で、師のご本をブッ●オフでお見かけしてしまい思わず手に取った次第。

この本を読み進めれば進めるほど
自分は底知れぬ老人力に溢れてるというか、老人であることに気が付いた。

老人力とは
物忘れをはじめとするボケるというマイナスのパワーのことをいうらしい。

老人力には様々な面があるのだが、
もっとも共感したとこを紹介したい。

それは論理について。

論理的に正しいはずの方向に向かいながら、
しかしどうも嫌だなという感じがあるとき、どうする?

老人力のない若年時代は
やはり論理に従う。
論理を前に立てる。
そうしないと怒られるんじゃないかとか、馬鹿にされるんじゃないかとか考える。

しかし、老人力がついてくると
まあいっか、というのが基本だから
論理で怒られたって別にいいというアバウト感覚で、
芸術より趣味、思想より好き嫌い、平等よりエコ贔屓の路線で行けるようになる。


私は思いっきり後者。
時々は怒られるかなと思うが
まあいっか が勝ってしまう。
老人力がつくとどうしても理論を支えるちからが抜けてゆき
まあいっか… となるらしい。

私はまだ20代が始まったばかりのひよっこだ。
それを考えると、ただ単に論理を支える力が足りないだけかもしれない。
しかし、一応、論理的に考えることはできなくはない。

何事も社会のせいにしてしまうのには抵抗があるが
論理に支配される世の中で
人々の感覚的思考が萎縮してしまっている中で
私の様に若者が早くから老人化してしまうっていうのは
社会に反抗する1つの現象としてあるのかもしれない。