札幌ファクトリーで鑑賞


上映時間の大半 涙が止まらない
顔じゅうが溶けっぱなしだった

前半の緩やかな日常と戦時下の日常の延長戦上にある世界、そこからの落差が激しく
心を大きく揺さぶられる

この世界の片隅に私をみつけてくれて、ありがとう
すずのセリフだが、顔も知らない人間と結婚し知らない街へ嫁ぐすずは
広島の片隅にいた私を見つけてくれた素敵なあなたに感謝する

両親を亡くしながらも広島に帰らず生きる
戦時下では肉親は祖母だったり親戚なのだ。
現代その関係が希薄化しているなか同様の戦争が起きた場合、日本人は生き残れられるだろうか。

戦争の空襲シーンにおいて凄まじい爆撃シーンが、アニメの柔らかなタッチながら戦慄する恐ろしさ
現在進行形で世界のどこかで同様の苦難にあっている家族が子供がいると思うと胸が張り裂けそうになる

戦争映画では兵士が最前線で戦う者が多い
戦場の悲しみや兵士の孤独が描かれるが今作は日常の風景の延長上なのだ

だからこそ戦争が始まっても緩やかな光景が広がる。防空壕のシーンも、空襲警報のシーンもどこか長閑だ。
だが呉の大規模空襲を境に世界は一変する。

すずの空想と絵描き好きは平和な日本ではありふれた趣味だが戦時下では贅沢なものだ。

好きな絵も描けず海岸線を描けば憲兵にどやされる。

現代日本だからこそ許される趣味と言える。

この世界の片隅とは、ラスト間際で私を見つけてくれたことに対する感謝の言葉

絵描きが趣味で、そのための右腕を失い、何が良かったのかわからなくなったという混乱と、家事を満足に手伝えず、かといって邪険にされるわけではない、今の場所が好きだという

家を出て広島に帰ることを決意したすずに周作はその理由を言い当てる

図星だがすずは否定し帰ると断言する

素直になれないのが人間なのかもしれない
逆に言えば幸せを得るには難しい素直さを手に入れることが必要なのだろう

心を素直にすることの難しさよ

好きなのに感謝しているのに素直に言えない
だが、ラストにすずは素直になれる
喧嘩したのは水原の後か、右手を失う前だ

感情をむき出しにするのは近しい証だ。
水原に感情をぶつけるすずに周作は嫉妬なのかむっとする

喧嘩の後でよかった

右手を失ったすずは気後れして感情を出さず周作との距離は縮まらなかった

重い重い映画だった