西都原の御陵墓前の桜は、コロナや雨のせいで出店もなく人もいない。

西都原のこんな風景は初めてのこと。

いつもは子供たちの笑い声や焼肉のにおいやシートでお弁当を広げる家族連れで溢れていたのに。

 

今年92歳になる母が、雨にけぶる御陵墓前の桜を眺めながら

「この場所で伊藤藩の6ケ町村で大運動会が開催されてたんだよ。」とか

「高鍋の学校に通っていた友達が機銃掃射をうけて亡くなったんだよ。」とか

「小学校の遠足でお弁当を食べようとしたら大きな地震がきて怖かった。」とか

毎年家族でお花見に来るのに、そんな話は初めて聞いた。

いつもと違う西都原の桜の下で、記憶は80年以上前にもどったよう。

時の流れが雨の中、静かに超えてただよっていく。


久しぶりにアメブロを開くと、自分の最新のブログ記事が「セクハラ」だったことにおどろいた。

それにしても、最近のメディアは、不倫とセクハラで溢れていてうんざりだ。

政治の世界って、ちょっと告発とかあって目立つと、必ずと言っていいほど女性関係で失脚してるように思うんだけど。

それが一番手っ取り早い問題のすり替え方法なんだろうな。

 

ま、男性は、総じて若くてきれいな女の子が大好きだしね。

そんな女の子に出会った男性陣は、愛と本能の間にいるように見えるし、お金や権力を持ってたら、使って当然だと思ってるみたいだし。

そんなの愛なんかじゃないよー、って言ってやりたいね。

 

「#MeToo」が世界中を駆け巡ってたときがあった。

セクハラにあった女性たちは、心の中で、日本でそれに乗っかったら、社会に潰されるという経験の中で学んだ法則によって声をあげたりしなかったんだ。

 

声なんか上げられないよね。これ以上傷つきたくなんかないもの。しかも、世の中の流行が終わったら、飽きられて、ぽいって捨てられる。そんな未来が見えるから、それをわかってて、地域社会で生きていけなくなる怖さを抱えて戦う勇気は、やっぱり持てない。

 

だから、戦ってる女性たちを、心から尊敬し応援してるんだ。

 

 

 

 

 

職場において、ハラスメントは職場環境管理において、近年益々重要になってきています。

「セクシャルハラスメント」という言葉が社会に認知されてから、セミナーを依頼されるたびに世間話でリサーチします。

いたってシンプルな質問で。

「セクハラはありますか?」

この問いに

「ありません」

と回答されたことは一度もない。

「実は・・・」

からのご苦労の数々をお伺いすることになる。

このところは、パワハラ、マタハラとハラスメントの種類も増えてきています。

が、結局のところ、人権の問題なんだということにあたらめて思うのです。

日本の差別社会の中では、人権意識の低さを感じる場面が本当に多いことに気づかされます。

そんな中で、政治家の聞くに堪えないたびたびの差別発言には、あきれるほかはありません。

しかも、特に大きな問題にもなりません。

『日本は差別国家なんだということが諸外国に周知されていて、日本に居住する日本人だけが、「日本に差別はありません」

と思っている』と外国人や外国に居住経験のある人に言われると、自分の発言や行動が適切なものであるか、今更ながら不安になってくるのでした。