さあ今日はあれから1年が経ったというわけで真面目かっ?と言われるようなことを書こうと思います。
去年の今頃は岩手のじいちゃん家に行ってた。3月11日の2日前くらいからじいちゃんとばあちゃんとおれ3人で青森にちょっとした旅行みたいのをしに行った、で3月11日にちょうど岩手の自宅に帰って来た。んで10分くらいして地震。まあびびった。ばあちゃんは俺の名前叫んで大丈夫かって何回も叫んでた。正直いま思えば、ばあちゃんのが心配だわって思った。でも、とりあえずはみんななんともなく乗り切った。その時は被害があんなでかいとは思わなくて、とりあえずひと安心って感じだった。でもそっからの一週間ぐらいはまじできつかった。冬の東北はまじで寒い。電気やらなにやらは使えないし、なにより寝てるときの余震がいちいちでかい、だから夜は特に恐かった。本当のストレスってこういうことだなって感じた。そういえば青森から帰るときに海沿いから帰るかって話になったんだけど、じいちゃん達が疲れてそうだったから、いや普通に帰ろうってことにした。これは本当に海沿いから帰らなくてよかった。海沿いで帰ってたらまじでジャストミートの時間帯だったわ。生きてますからなんとでもいえるけど、まじで運がよかった。なんて話をじいちゃんといまでも電話で話してる。たぶんじいちゃんとばあちゃんが死ぬまでこの話はすることになるわ。
んで3月の終わりに家に無事帰れたわけですが、帰る前日くらいに店とかも少しずつ空いてきて余裕が出てきたから、不謹慎かもしれないがじいちゃんにおれが見たいと言って連れてってもらった。んで3人で津波の被害にあった海沿いの町を車で見に行った。本当になんも無かった。家とか線路とか車とか綺麗に全部。怖いというか素直にすごいと思った。これ海の水かよってとこまで水が流れて溜まってた。あれを生で見れてよかったと思ってる。
で、あれから1年。特に被災者には個人的にはなんもしてません。1年経ったからどうこうなるわけでもないけど真面目に書いてみました。
生きてますからなんとでも言えますけどね。
P.S. じいちゃんと同じ病院に通ってた大鎚町の人はあれから病院に来てないそうです。たぶん死んだよって悲しそうにじいちゃんは言ってました。
2012/3.11