まさに醒めない夢だなと思う
街を歩いていても触ったものが霧散していくイメージが湧くし
全てを透過してしまう気もする
絵を描くことによって始めてそれを現実に固定させられるような気がする
自分なりの世界の作り方
飯田大輝、創世記だ🤣笑
そして最近身近な風景を描いているから
近所を歩いているだけで自分の作品に出会う
記憶が元で絵ができたのではなく
絵ができたからそれが現実に現れたような気がする
どっちが現実でどっちが夢なのか?
随分怪しくなってきた😌
見慣れた風景でさえ、人は正確にそれを捉えてはいない
感覚的には捉えていてもそれを霧散させないほどに現実的に捉えてはいない
証拠にその風景を見ずに描けと言われても描けないだろう
じっくり見直してみると全く今まで気づかなかった発見があるものだ、その1つ1つの発見が現実たらしめる
しかし人によってその発見も千差万別で、first impressionが大きく関わってくる
それによって作り上げられる現実はまさに人によって全く違うものになる
同じになることはないはずだし
同じじゃないとおかしいと思うこと自体が狂ってる
例えば百人が同じ風景を見て描いた絵の平均を割り出したとすればそれがつまり普通になるとは思うけど、それは自分にとっての現実とはなり得ない
現実は普通ではない、当たり前ではないという気がする。
僕は最近絵を描いていて、まさに醒めない夢だとつくづく思う
今の自分はもう既に過去になって行くという現実
未来の事を思い悩む以前に今の自分にすら追いつけてない事を知るべきだ
僕は出来るだけ、今の自分ができる範囲のことで全力を尽くそうと意識してるけど
随分難しい
自分がどこか見失う日もある
しかし何にも囚われずに今を生きる方法がいくつもある事を思い出した
まず日本である以上誰もがやる事の1つに
合掌というものがある
僕は一人でも友達ともいろんなところに旅行に行くけれど、昔から神社というものが好きで何かといろんなところに行く
まず、一礼して鳥居をくぐり手水舎で清める
参道の端を歩き階段を登り、2礼2拍手1礼
この時合掌すると思うが、まさにここがフラットな場所だと思う
未来と過去を今に合わせるような、今この瞬間を表すような、まさに先人たちの知恵であるように思う
しかしあくまでもこの所作がフラットなのではなく、心も一緒にフラットにするべきである
未来を恐れたり、過去にとらわれる事なく、今ここで手を合わせて願う事は今ここに生きることへの感謝で本来は十分な気がする
日常的にそういうフラットな心を作れればと僕はよく思う
僕にとっては絵を描く事はまさにそれに当たる
過去に見た場所、感じたものを元に、未来にその絵の完成を見て
筆を持ち、今目の前のキャンバスに描いて行く様はまさにフラットな気持ちである
筆のタッチひとつひとつがその意味をなしてるように思う。
なんか宗教に入っているみたいな雰囲気になってきたけれど、入ってない、誘われてもない、ただ僕がそう思うだけです😆
入っているとすれば自分の心を信じる宗教だね
それを僕は芸術と呼びます
今日も芸術日和だな!
なんどもこのブログで言いますが
あくまでも僕の芸術に関する事しか書いていないつもりです
なんか熱っぽいな、頭が痛いし、体が火照っていて怠い。
絵を描いて寝よう🙏