人間は不思議で噛まれた事も触った事もない(僕は)蛇をあそこまで事細かに頭の中に映像として出現させる事ができるのかと起きた時びっくりした
夢の話だけれど、黄緑色のペタッと湿った細い30センチほどの蛇がいて、僕の人差し指を噛んだという夢だった
夢の中で僕はその蛇はとても可愛いなぁと思っていた、目が大きくて真っ黒で、仕草は警戒しているように見えた、噛まれても僕はその蛇と仲良くなりたいと思っていた。
なんでそんな夢を見るんだろう?
今年の10月に僕は個展を予定しているのだけど、その個展のタイトルが
「醒め方を知らない夢」展なのである
少なからず僕は夢というものに昔から興味があったという事だけど、それがなぜかというと夢を結構詳細に覚えている方だからだと思う
起きた時に不思議だなぁと毎回現実に戻って考えさせられてきた
夢に意味は僕はあまり持たせないようにしているけれど自分の心理状態はある程度反映されているし、深層心理みたいに自分でもわからない何かが紛れ込む事はあるだろうと思っている
その意味を解釈しようと努めるわけではないけど、全体のイメージでそれがいいものかどうかは判断がつくだろう。
それに覚えている範囲が夢として記憶にあるだけで、その前後の経緯も夢にはあるのではなかろうかと考えたりする
もしかしたら自分が生まれたところから死ぬところまで夢は続いていて、その間の記憶の断片を夢として持ち帰ってるに過ぎないのかも?とか💁♂️
今回は旅行先のケーブルカーの中で向かいの席の人が蛇を手に持っていて興味が湧いて手を伸ばして噛まれたという記憶だった
なぜそのケーブルカーに乗っていたのか?
その人は誰か?(どうやら知り合いらしかった)
どこに向かっていたのか?
こんなことは考えても仕方のないことだし全く馬鹿げているけれどロマンは感じる
裏を返せば今が夢の中なのかもしれないと思ったりする
これで現実で目が覚めた時に
今このブログを書きながら喫茶店でコーヒーを飲んでいる記憶の断片を持って帰るのかもしれない
パラレルワールドに近い感覚に陥るし、不思議とワクワクしてくる
僕が今回開催する個展も似たような意味を込めてある
僕の人生の断片が絵画として昇華されていて、その断片を眺めた人は夢を見たのと同じなのだろうと考える
自分の人生とは別の何かを体験しているということだし、心に残るものもあれば忘れてしまう事もある
現実かどうかもわからないその絵画の中に人は夢に似たものを感じると思う
人は醒め方を知らない夢に躊躇なく落ちて行くが、なぜ怖いと感じないんだろうか?
戻ってこれるかわからないのに
と思ったのだけど、すでに今夢に落ちているならそんな心配もいらない
今が夢じゃないというのは顔をつねればわかるというが、果たしてそうだろうか?
人は生まれた時どこから来たんだろうか?
死ぬ時どこへ行くのだろうか?
それは醒め方を知らない夢に落ちていくのとなんら変わらないのではないか?
逆も考えられる
夢に落ちた時に生まれ、夢から醒める時、死ぬと人は表現しているのかもしれない
僕はここに無限のロマンを感じるが
今この世界で生きる以上僕は今をここで生きる事を全力でしなくてはならない気がする、実際そうしているし、醒めない夢から覚めた時に後悔しないよう僕は今を全力で生きようと思います
死ねば助かるなんて事はない
自殺も殺人もそれに類するものはアウト
この世界を自分なりの精一杯の愛情を持ってなおかつ執着せず感謝して生きていく事が生きるということに他ならないと僕は感じてます
いい事も悪い事も全てを含めて人生であり、脚色したりしてそれ以上に見せたり、逆に卑下して自分を下に下に見たりせず、自分のままで波に揉まれて生きていく事が大事です🙏
この醒め方を知らない夢を全力で全うする
僕にとっては今のところそれが画家なのだという事が分かっているくらいです
自分を信じて表現させていただきます😌
銀座1丁目にあるギャラリーSOLさんで
2019.10.07〜2019.10.12迄の6日間を予定しています
一度でいいです、僕の見ている夢を一緒に覗いてくれると嬉しいです、何より作品達が喜ぶと思うのです👨🎨
詳細は追ってまた告知します
飯田大輝「醒め方を知らない夢」展
「醒め方を知らない夢の中で自分を見る」
