いきなりですが、今まで
記事を書いてきた
父の息子です。
私は父がブログをしていたことは
知っていましたが、見たのは
父が亡くなってからです。
私の父は
2020 10月18日
午前2:07頃に
亡くなりました
病名は敗血症でした
突然の別れで未だに信じたく無い
自分ですが、この事は忘れたく無いので
ここに書くことにします。
ここまでの経緯を整理できませんが
覚えている限り残します。
これは肺炎になる前の話ですが
私の父は34歳くらいの時に
糖尿病になり、それから毎日薬などを飲んで
いましたが、1年程前に人工透析を始めました。
それからは過去の記事を見て分かる様に
辛い事が多かったです
夜中、寝ていて足の痛みで何度も起きて
毎日睡眠が足りて無かったようです
起きていたのは知っていましたが
睡眠が取れていなかったのは
過去の記事を読んで知りました。
それ以外にも、透析後は発熱が酷かったり
足が思うように動かなかったり
それでも、父は家族に
辛い、などの弱音は言いませんでした
仕事から帰ってきて、疲れたとは
言っていましたが
ブログを見ていると
毎日、辛かったんだなと
わかりました
そして今回21年間の闘病の末に
糖尿病が直接の原因では無いですが
亡くなりました。
そして今回の事は
今から1ヵ月ほど前の話になります。
9/15
父が最後にブログを書いてから
2日後です。
朝、入院中の父は息が苦しい
と、医者に言って
緊急病棟のICUという人工呼吸器を付けて、
治療する事にしました
意識があると苦しいから
鎮静剤などを使って、眠らせていました
その時、父は自分では呼吸が出来ず
機械の酸素濃度をマックスの100%にして
吸えなくても酸素が入るように
しました
その日は朝電話が来て
僕は学校があって、帰ってきて
母から知らされました
お医者さんからは
後2日が山です、と言われ
家族皆んな泣きました
ですが、父はその後頑張って呼吸を
して40%で済むくらいにまで
回復しました、なんとか一命を
取りましたが、そのあとも何度か
上がったり、下がったりしました
呼吸の方は落ち着いたと
思ったら、今度は別の感染症にかかってしまったり
父はそれでも必死に行きました
ICUに入ってからは会えていませんでしたが
私たち家族も心配しました
そして、回復の兆しが見えてきたと
思ったら
様々な感染症にかかり
父は体力的にも限界で
免疫が弱くなり
また、10月の始めから
酸素濃度が80%に上がってしまい
10月の17日の土曜日
私は定期テストが終わり
振り替え休日の日でした
朝、病院から電話が来て
父の血圧が低く
今の状態の説明がしたいと
言う事で、すぐに
病院へ、向かいました
血圧は普通の人の場合100が正常値らしいのですが
ちちは40まで下がっていました
他にも、体のアルカリと酸のうち
酸が多くなってしまい
このままでは、いつ心臓が止まっても
おかしくないと、これが敗血症で
近日中には亡くなる
と説明されました。
この日私達家族は
たまたま、ほとんど一瞬ですが、病院を出る際
寝ている父を
見れて息をしていました。
会えた、とは言えませんが
生きているうちに見ることができました
1ヵ月ぶりに、ずっと寝ていた父は
全体的に体はむくんでて
透析が出来ず
水分が抜けなかったせいです
思わず、皆んな
父の方に向かって
叫んでしまいました、母は今までありがとう
僕は早く元気にって、妹は早く帰ってきて、と
声が父に届いていることを願います
そして、この
後は父次第だと言われ
家に父の実家に一旦帰りました
そこで、悲しけど万が一の時の
葬式などの話をして
家に戻りました
この日私は病院から電話が来ない事を
祈りました
帰ってから、夜になるまで
皆んなで父はきっと帰ってくると
話しました
ですが、夜の11時に
病院から電話が来ました
父の心拍数が上下していると
直ぐに親戚皆んなに連絡して
11時30には皆んな病院に
集まり、暗くなった病院で、人がほとんどいない待ち合い室で先生が来るのを
待ちました、
3時間経った翌日の朝2:30ごろ
母と父の叔父さんの
2人が呼ばれました。
母はそのあと30分くらいしてから
泣きながら戻ってきました
そこで
パパが亡くなったと
聞かされました。
いきなりすぎて
信じられませんでした
そのあと、1人ずつ父に会って
良いとの事で
亡くなった父を目にしました
そこで、ありがとう
と言いました
すごく悲しかったです。
手や腕、首などがむくれて
中でもては
信じられないくらい
膨らんでいて
グローブみたいで
指の一本一本が大きくなっていて
柔道をやっていたので元々
人一倍おおきかったんだけど
寝る時、俺の手を握っていた、
ギターを弾いていた、あの頃の手では無かった
俺の手を握れないくらい
大きくなっていて
冷たかった。
その後は色々あって
今日、の14時30ごろ
父を、家から送り出します
亡くなってからこの2日間
夜も同じ部屋で寝て
沢山、お話をしました
父を家に迎えて初日
私はこの
ブログで父の遺言を
見つけてしまいました
他にも
父のメモにも
様々な遺言が書いてあって
日付けが今年の2月5日
父の誕生日前のものと
8月12日の二つあり
どちらも、生前、入院前と
これを父はどんな気持ちで書いていたのか
誰がこんなところに書いて気づくか
私しは前に少しブログをやっててと
聞いていただけで
今回の事で
父が何を書いたか見ていたら
見つけてしまいました
このブログのことは
家族で僕しか知りませんでした
父が家を出る前に
皆んなに遺言を伝えられてよかった
沢山パパに感謝できた
パパが伝えたかった事は
無事皆んなに伝えたからね
安心してね
俺がパパの代わりになるからね
ただ、もう一度でいいから
声が弾き語りが話がしたかった
ちゃんとこの事を向き合って
父を送り出します
後2時間くらいだけど
頑張ります。
2020 10/20
因みに父は2月7日生まれです。
多趣味で
弱音を吐かない
父で
いろんなところ
美味しい食べ物を
作って、時には食べに行って
ギターも弾けて
仕事も沢山して
他にもいろんなことができて
自慢の父でした
世界一でした。
頑張りすぎたんだね
人間完璧では無いと言うけど
私の父の場合
自分の体を大事に出来なかったことだね
今まで父のブログを見ていただき
ありがとうございました
落ち着いたら
全部見ようと、思います
パパ今までありがとう
16年間と短かったけど
楽しかったし、幸せでした
もっといろんなことや話しもしたかったです
釣りも最後に一緒に行ったのは
受験前の中2の時だ。
まさか、糖尿病じゃなく肺炎で亡くなるなんて
後の家族は僕がパパの代わりに支えます
パパみたいに
何でもできる人になります
だから。ずっと見守ってください
いつか、僕もそっちに行くから
僕、が人生を全うしたら
必ず会いに行くから
それまで、見守ってください
待っていてください
長くなるけど
必ず、会おうね。
パパの一番の息子より。
