わたしの死生観 | 福井美由起 キラポジなブログ

福井美由起 キラポジなブログ

株式会社DazzleCreation代表取締役社長

企画・PR
大手企業取引実績
メディア掲載多数
女性の共感を呼ぶ企画ならお任せください

女性を輝かす事をビジネスにしています
人は私をみゆみゆと呼びます よろしくね!


3月3日が過ぎ
この週はひたすら母元子の事を思い心で対話して過ごしています

本日でそれは終わり
また明日から通常の生活に戻ります


なので最終日はわたしの死生観について書こうと決めました



皆それぞれの死生観があって
死を辛く悲しいものと捉えたり
新たな旅立ちと捉えたり
様々だと思います



私に関しては
母を亡くした事によって寂しい、恋しい気持ちはありますが

悲しい辛いといった気持ちはありません

むしろ亡くなってからのほうが
母とより近くなった気がします


物理的には触れたり喋ったりは出来ないのですが
心の中で話しかけるとちゃんと答えてくれている気がします

心の中で生き続けるってきっとこういう事なのかなって最近思う



私がたまに母について記事を書いたりもしますが

それを不謹慎と捉える人も中にはいるかもしれない

「人の死をそんなネタにするんじゃない!」
とか思われてるのかもな・・・

というのも十分わかったうえで私は書いています




そこまでして何で私が書き続けるのかというと

ひとつは母がそれを望んでいるからです




母は生前わたしの書く記事を毎回読んでいました

喧嘩をよくしたけれど
それでも手紙は年に数回交わし合っていました



電話で話せば必ずこう私に言った

「メールじゃなくて手紙を頂戴。美由起の書く手紙は本当に面白いから」



不思議なもので
アーティストであった母だからなのか
わたしの文章に対しては高く評価をしてくれていた


それ以外は不器用な人で
全てに嫌味をもれなくつけてくるのが常だったけれど

相手の才能や感性に対しては素直に
「素晴らしい」
と言える人だった




ブログを読む事は

母が私の事を唯一素直に誇れるツールでもあったし
唯一親バカになれる時間でもあった



だから私はほぼ毎日欠かさず書くの

それは今でも母が読んでいると信じてるから



そして母への想いを書く事で母は間違いなく喜んでいるとわかるもの



今でもね
母の事に触れる時

涙を流す人もいるの

「美由起ちゃん、辛いでしょう・・・」


いえ
辛くなんかないの

だから泣かれても困ってしまう

泣いてくださる気持ちは有難いけれど
私は辛くなんてないの
だから
どうかわたしの為には涙を流さないで

泣くのなら母の為に




今も話題となっているイジメによる自殺だとか殺人だとか
そういう痛ましい死に対しては本当にやるせないし
どう考えてもポジティヴな見方は私は出来ないししようとも思わない

そういう事が起こらない社会や教育を
願うだけではなく行動に起こしていく事が
自分にとっての唯一の弔い手段なんだと思う



けれどわたしの母に関しては

彼女は望んで一人で雪山に足を踏み入れ
救助も呼べたのに最後まで自分でどうにかしようとして
最後の瞬間も全て自分の決断で幕を降ろしたの

だからむしろその死を
「彼女らしい最期」として誇って生きたいのです


それに母はクリスチャン
死ぬことによって彼女はイエス様のもとに行けるのだから
ちっとも怖くなんてなかったと思う

以前に母が私にこう言ってたのを覚えている

「私死ぬのがと~っても楽しみ」


死は彼女にとって終わりじゃないの

目を瞑るその瞬間に
暖かな光に包まれたんだってわかるもの



だからね

この話題に触れる事を恐れたり
私の為に悲しんだりしないでね


だって今だって
きっと何処かの山を
自由に生き生きと登っているのですから



そんな感じで
母の死を通じて私の一部となった死生観ですが


これを理解して貰おうとか思わないし
答えを欲しているわけでもない




けれど同じように身近な人を亡くして
辛くってどうしようもなくてずっと塞ぎ込んでいて

そんな人が居たら



こういう死の捉え方もあるんだって
知っては貰いたいかな






それが本当に僅かでも
その方にとって癒しや希望なれば幸いです





失った事によって
気づかされる事や
新たに芽生えるものがある




今目の前に当たり前にある全てに対して
愛が芽生えてくるようになる







わたしね

今まで生きてきた中で

今が一番母を愛してる






{5C259084-F110-4666-8358-8A81BB01445F:01}