きょうは、父の四十九日。
あっと言う間に過ぎ去って行った四十九日
実は・・・
今年の7月27日に救急車で病院に搬送された父。
その日(27日)具合が悪く、母とかかりつけ医に、行って検査した所・・・・。
直ぐに、大きい病院に行くことに。
そこで、レントゲンなど検査をした結果・・・・。
大腸がん
しかも、末期の大腸がん
母は、ただただ、唖然としていたとの事。
(アタシは、その場に居なかったので妹に聞いた話ですが・・・・。)
最悪な現実を受けきれなかったんだと思う。
病院に運ばれて、直ぐに、人工肛門の手術を。
2時間位で終わる手術が、倍の4時間掛かったと・・・・。
それだけ、がん細胞が大腸と癒着していて、手術が困難だったと言うこと。
手術が終わり、父はICUに。
アタシが、病院に駆け付けたのは、次の日の28日。
午前中の事。母からの突然の電話
母)「お父さんが入院したんだケド・・・。
私)「!?えっ?何処の病院?」
母)「市立病院 3階ICU」
私)「分かった。今から向かう。」
電話を切り、子供たちを連れて、病院に向かいました。
・・・・・・・。
病院に着き母に言われた、3階に。
3階に着いたら、母と妹、婆ちゃん、おばさん(父の妹)、婆ちゃんの妹が待っていた。
母が、
「今、先生が回診の時間で、まだ、ICUに入れない」
私)「そっか・・・・。」
それから、1時間以上時が過ぎっていった。
12時位にようやく、ICUに入れるようになり、ICUに向かう。
子供たちはICUに入れないとの事なので・・・・
母、アタシ、妹の3人で行くことに。
ICUに入って、ちちの口には、酸素マスクが。
モニターがそばにあって、そこから、管につながれている。
まるで、植物状態
掛ける声も無くその場を後にしました。
母と妹これからの事、今、やるべき事は何か話し合いました。
それから3~4日後、
母から父が一般病室に移ったと連絡が来たので、御見舞に行くことに。
父の病室は、2人部屋
そこに1人りで、ベッドに座って、歩行練習の最中でした。
3~4日前とは比べ物にならないくらい、顔色もよく元気そうでした。
夏休みだったので、子供たちも連れて行った所、
父は、ニコッと笑い、機嫌が良かったです。
まだ、心電図?みたいな物は、父の身体に着いていましたが・・・。
それでも、座位を取って、お昼ご飯を食べるまで回復しているんだな・・・
とその時は思いました。
それから、暫く父のところには、行くことは無かった。
8月某日
また、母から、電話があり、父が6人部屋に移った。
との事で、父の所に。
いつもながら、仏頂面の父。
会話もあまり無く、
「また来るね。」
と言って病室を出ていきました。
9月のある日
母と二人で父の病院へ
父の人工肛門に付けるスマートパウチの装着の仕方を教えてもらうために
まず、パウチがどんなものか。
人工肛門の患者さんに食べ物について
などなど・・・・。
実際、パウチの交換の日でもあったので、実際に、母が父にパウチを装着してみることに。
人工肛門は、人によって、大きさが違うので、
その大きさに合わせてパウチを切って装着しないといけないのですが・・・。
その、大きさに合わせないといけないのがむずかしい(;´Д`)
看護師さんが、やりながらアドバイスしてくれてました。
10月某日
父に一時帰宅の許可が降りたらしく、一時帰宅する
1泊2日の外泊・・・・。
のつもりが・・・・
一時帰宅のその夜
父が吐血をして、急ぎ病院に。
それ以来、一時帰宅は無くなりました。
実は、投薬を変えて、体力が今より回復したら再度手術をして、人工肛門では無く肛門から排泄できるようにする手術を予定していたそうです。
それも、虚しく、
11月3日
午後5時息を引き取りました。
息を引き取った日、お昼くらいに母と妹で父の病院に行っていたそうです。
その時は、酸素マスクをしていて、
冗談で、母に
お前に酸素マスクをやる。
的な冗談をやってみせたそうです。
談笑した後、病室を後にした。
その後、容態が急変し、母は再び病院へ。
母から、父がも永くないと知らせを受け急いで病院へ向かったのだが・・・。
父の死に目にまにあわず。・゚・(*ノД`*)・゚・。
病院に向かってる途中に母から連絡があり実家に向かうように言われ実家へ
実家に着いたら、父の弟が仏間を掃除していた。
話を聞くと、父の遺体を置くので仏間を片付けているとのこと。
あたしも、父が帰って来るまで、掃除を手伝うことに。
20分位掃除したくらいに、父が無言の帰宅。
母から見せてもらった、死亡診断書には、
直接の死亡原因の所に『肺胞腫』とあった。
結果的に大腸がんが全身転移していた。
帰宅した父は、まだ、暖かく眠って居るようだった。
「父さん起きて!」って話しかけたら今にも起きそうだった。
元々肉付きがいい方では無かった父
帰宅した父は更にやせ細って居た。
葬儀屋さんも一緒に来ていて、仏間に布団を敷き、祭壇を用意してとりあえず、帰って行った。
父が死んだのが実感できなく
その時は、涙が出なかった。
次の日11月4日
昨日来た、葬儀屋さんが、お通夜と葬式の打ち合わせに来ていた。
実家に行くたびに、父(遺体)に挨拶するようになった。
返事が帰って来るわけでも無いのに、ひたすら話しかけたり、そばに居たり。
午後は、納棺師さんが来て、納棺するので、それに使う物の準備などに
いそいそしていた。
午後、納棺師さんがきた。
納棺師さんに寄って、白装束に衣が得て行く父
よいよ、旅立ちの準備なんだなとおもった瞬間、
涙が溢れて来た。
涙が止まらず、一旦その場を去る。
とめどなく溢れてくる涙を流しながら棺の中に収められる
父をみつめる
納棺師さんからずだ袋の説明を聞いて
納棺師さんかえられる。
棺に収められた父の為に紙でお金を作り
家族の爪、髪の毛を入れて準備しました。
お金は、あの世で、苦労しないようにとたくさんつくりました。
だが!
しかし!!
納棺師さんが用意したずだ袋などが棺の上に無いのです!
納棺師さんが説明し終わって、持って帰ってしまう。
ハプニング発生!!
直ぐに葬儀屋さんに電話して、納棺師さんに連絡付けてもらい、再び納棺師さんにに来てもらうコトに。
納棺師さん)「申し訳ないです。」と一言行って帰られました。
あれよあれよと言う間に、お通夜、葬式と過ぎ去っていった。
葬儀後、母の手伝いなどで実家と自宅を行き来。
1週間前くらいに、色々な手続きが全て終わった。
ホットしてると同時に虚しさが・・・・。
それでも、父が何処かで見守ってくれてると信じて、過ごしたいと思ふ。
長い文章にお付き合い頂きありがとうございます
これから少しずつブログも復活していくのでよろしくお願いします。
あっ!元気に過ごしてます(^^♪
では、
むっちゃんですた