2026年1月26日_ ICI安黒務によるキリスト教Q&A

「Q12 :クリスチャン生活とは? ―⑸自分のリヤカーは“空っぽなのか?”と錯覚してしまう」

https://youtu.be/voZr_b_iqRY

 A12 :「クリスチャン生活とはどのようなものなのか ? 」を問うている。今日は月曜日である。ブルーマンデーという言葉がある。これは「憂鬱な月曜日」を意味している。休み明けの月曜朝、仕事が始まることに対する、人の憂鬱な心理状態を表している。

 徳川家康の遺訓は、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」であったそうだ。それぞれ生活の、また人生の真理の一端をあらわしていることに共感する。では、人生のそのような負の側面に対するイエス・キリストの言葉を見てみよう。

 新約聖書マタイによる福音書[11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです]と語られている。

 なるほど、わたしの月曜の朝は重たい気持ちで一週間が始まる。わたしの一生は、子供の頃空っぽだったリヤカーに、重たい荷物を積み増し、息ゼイゼイ吐きながらそれを引っ張っているようなものである。キリストは、そのように重き荷を満載したわたしのリヤカーを一緒に引っ張ってくださる同伴者である。わたしは、主との交わりの中で、わたしにのしかかるひとつひとつの荷重をキリストにお任せしていくことができる。

 新約聖書ピリピ人への手紙[4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます]。

 キリストが担い、引っ張ってくださるので、いつしか自分のリヤカーは「空っぽなのか?」と錯覚してしまう。