従兄弟のお葬式に行ってきました。
小学生以来会っていなかったけど、こんな形で再会するとは思ってもなかった。
人生で2回目のお葬式。
1回目は20代前半。
高校時代のクラスメイトでした。
自殺、そして今回も自殺です。
寿命でも、病気でもなく
自分で命を絶つという事。
前回同様、家族の方の泣き崩れる姿は見てて非常に辛い。
しかし…死に顔は
「気が抜けた顔」
だったらしい。
生きることは辛いこと。
彼にとって「死」は「辛いこと」からの解放だった。
家族がいる。
裕福である。
友人に恵まれている。
愛されている。
才能がある。
例え他人が羨む環境であっても本人がそれを実感しなければ無意味である。
私も一般的には
「普通」であるはず。
しかし、「消失願望」は抱いている。
「死」を楽観視している訳ではない。
「死」と「消滅」は自身の中では異なる。
ほんの少しの執着と
勇気のなさがそれを阻む。
彼のように金曜日を選び
最期まで周囲を気遣う事など私には出来ないだろう。
だから私は今も息をしている。
解放された彼を不謹慎にも羨みつつ、送り出した。
彼はやっと解放された。
しかし家族が哀しみから解放される事はない。