ホントに1人になった。


別れを言う方も勇気がいるんだよ。



まだ実感がわかないのか
遊んでくれる友達がいたからか
気持ちはそれほど沈んではいないの。



これから
また誰かに出会うよ
人生長いはず


だから
いずれ会うその人の為に
自分を磨いておこう。
せっかく会っても



天候が悪かったから迎えに来ただけで
別に会いたかったわけじゃないんじゃ?


だから頻繁に会うのは好きじゃない。
天候が悪いくらいで迎えに来るなんて
「愛されてるね」って言われるけど



お金ないクセに奢ろうとする。
割り勘にしようって言ってるのに。


宛もなくあちこち走る。
ガソリン代ないくせに。




一緒に「おいしいね」って言いながらご飯食べて
ただ手を繋ぎたいだけ。
ほっとしたい。


会話もなく
車内でテレビを見て
21時になると
もういいだろ?的に
「そろそろ帰るか」と言う。



悲しくなった。
贅沢かな。
虚しくなった。
我が儘かな。



勝手に手のかかる女にしてるんじゃない。
やれやれみたいにされても意味がわからない。


泣きたくなった。
伝えても
「何が不満なんだ」と言われそう。



言わない。
だから余計伝わらない。

抱き締めてもらうのを言ってやって貰うならいらない。


優しくするのは、
わたしのため?
じぶんのため?
従兄弟のお葬式に行ってきました。


小学生以来会っていなかったけど、こんな形で再会するとは思ってもなかった。


人生で2回目のお葬式。

1回目は20代前半。
高校時代のクラスメイトでした。


自殺、そして今回も自殺です。


寿命でも、病気でもなく
自分で命を絶つという事。



前回同様、家族の方の泣き崩れる姿は見てて非常に辛い。



しかし…死に顔は
「気が抜けた顔」
だったらしい。



生きることは辛いこと。
彼にとって「死」は「辛いこと」からの解放だった。


家族がいる。
裕福である。
友人に恵まれている。
愛されている。
才能がある。



例え他人が羨む環境であっても本人がそれを実感しなければ無意味である。



私も一般的には
「普通」であるはず。

しかし、「消失願望」は抱いている。



「死」を楽観視している訳ではない。

「死」と「消滅」は自身の中では異なる。



ほんの少しの執着と
勇気のなさがそれを阻む。


彼のように金曜日を選び
最期まで周囲を気遣う事など私には出来ないだろう。


だから私は今も息をしている。
解放された彼を不謹慎にも羨みつつ、送り出した。



彼はやっと解放された。


しかし家族が哀しみから解放される事はない。