吉川経家という武将をご存知でしょうか。
豊臣秀吉に兵糧攻めを受けた城の城主で、最後は自らの命と引き換えに城内にいる領民と兵の助命を秀吉に約束させ、切腹して果てた武将です。
この城、当時の城主は山名豊国でした。
豊国は秀吉軍の脅威を前に、早々に降伏して城を去りましたが、残った家臣達が秀吉への屈服を拒み籠城。助けを求められた毛利家が、その人柄を見込んで派遣したのがこの経家でした。
経家の入城後、「渇えごろし(かつえごろし)」と言われる凄惨な兵糧攻めの末、城は落とされます。
開城の際、経家の申出に感心した秀吉は、籠城を始めた旧山名家重臣の切腹を求め、経家には毛利領への帰還を勧めました。しかし経家の意思は固く、天正9年10月25日、家臣に見守られながら切腹。享年35歳でした。
秀吉は経家の首を前に「哀れなる義士かな」と涙を流したと言われます。
死を前にした経家が、家族や家臣へ書いた手紙がのこっています。最後に書き残したのは子どもたちへの手紙。
とつとりのこと よるひる二ひやく日 こらえ候
ひようろうつきはて候まま
われら一人御ようにたち おのおのをたすけ申し 一門の名をあげ候
そのしあわせものがたり
おきゝあるべく候
かしこ
てん正九年十月二十五日 つね家
あちやこ かめしゆ かめ五 とく五
まいる 申し給へ
幼子が読みやすいよう平仮名で書かれた手紙。
優しい父である経家の姿が偲ばれるとともに、死を前にしてもなお、その心の落ち着きようには敬服するばかりです。
少し前から、ある方の闘病記のブログを拝読していました。目の前に迫る死を真っ直ぐに見つめ、残った時間をいかに自分らしく、楽しく生き切るか。
聡明な文章で綴られたブログを読んでいると、ふと経家の言葉が思い出されます。
その幸せものがたり お聞きあるべく候
心よりご冥福をお祈りいたします。