院長 中島 一雄
一龍堂院長の中島です。
「1人でも多くの人に、笑顔と喜びを」をモットーに安心で安全な施術方法で心身ともに健康で、笑顔が身体から自然と溢れてくるようになっていただくことを目的としています。
古来より伝わる伝統的な医術を大切にして、未来の人々に向けて大切に守っていきたいと日夜努力しています。
そして、その医術を地域住民の皆様の健康に役立てるために私達は頑張っています。
現代のストレス社会に於いて、様々な病名のつかない病気や怪我があります。
それらの苦しみから解放される手助けをうため、古い技術を守るだけでなく、最新施術を駆使して皆様の健康の手助けをしたいと思っています。
今でこそ接骨院が多くある時代になりましたが、一昔前は接骨院は骨接ぎと呼ばれていました。
そんな骨接ぎ時代から、大学で柔整の勉強をし、30年以上この業界で頑張っています。
日本体育大学で柔整の勉強を4年間行い、卒業後は大学バトミントンチームの助手として選手の身体ケアを行っていました。
その後、当時お世話になっていた先生のご縁で岐阜にある接骨院で10年間の修行を重ねた後、開業に到りました。
私の師匠は、柔整業界では有名な兼定 正明先生です。
師匠の元で10年間修行をし、免許皆伝を頂いた後に開業を決断しました。
それから岐阜の地でおよそ30年間、接骨院を営んでいます。現在では3店舗を営む接骨院へと成長することができました。

【一龍堂の歴史】
1983年に第一店舗となる一龍堂を開院しました。
一龍堂での17年間は一人で院を切り盛りしていました。
2000年には2店舗目となるなかしま院を開院し、そして2007年に3店舗となるくじの院を開院しました。
東海地区は全国的にみても柔整が盛んな地域です。
おのずと接骨院の数も増加しており激戦区です。
その中で生き残るには技術を磨き、勉強を続けることが必要です。
施術だけでなく、症状を和らげるための運動の指導も行います。
そして、患者様に少しでもご自身の体の状態を理解してもらえるよう、わかりやすい説明を心がけています。
わかりやすい説明ができれば患者様も納得して自分の症状と向き合い、協力して改善に向けて取り組むことができます。
そうすることで、より早く症状が改善されます。
ただ、言葉にするのは簡単ですが、実際に知識の少ない患者様に理解しやすい説明は容易ではありません。
私自身、何度も失敗し、説明方法を工夫し続けました。
失敗を恐れずチャレンジし続けた結果、技術は磨かれ、今でも私自身を指名して来院してくれる方も多くいます。

一龍堂のビジョン
最近、常に私が考えているのは高度な技術を持った後継者の育成です。
定期勉強会風景昔は骨折の対処が仕事の大半を占めていましたが、近年では骨折した患者様は整形外科を受診されるため、接骨院を訪れる方の7~8割は捻挫や肉離れの患者様です。
そのため、捻挫や肉離れの処置には長けていますが、それ以外の症状に対する処置の経験を積みにくいのが現状です。
整形外科などの医療分野が確立することは望ましいことです。
ただ、一方でより患者様への負担が少ない接骨院治療の役割が減ってきていることも否定できない事実です。
私が若い柔整師の皆さんに望むこと。
それは、今のベテラン達の技術を存分に盗んで欲しいということです。
施術中の様子を横目で盗み、会話の内容に聞き耳を立てて言葉のやり取りを盗む。
こんな貪欲な姿勢を持った柔整師に皆がなって欲しいと強く思います。
そんな考えを持って現場に向かうためか、極力若い先生達の施術の様子を横から見ることに時間を割くようにもなりました。
「失敗してもいいから自分の思うようにやってみろ」
「何かあれば何とかしてやるから」
こんな気持ちを持って日々の現場に向かっています。
自分自身が修行中のときには、自分の施した施術に対して
「あの処置で本当に問題なかったのか!?」と思いなかなか寝付けない時もありました。
苦しい経験もあるかもしれないですが、努力する若い柔整師の先生達を育てることが今の私の使命の一つであると思っています。
最近、簡易マッサージ店がとても増え、とても繁盛しているのを目にします。
しかし、簡易マッサージでは一時的に痛みを忘れることができても根本的な解決にならないと私は思っています。
一時的に痛みを取りたいこともあると思います。
しかし、痛みの原因を適格に把握し、改善するための施術と、徹底した患者様への現状説明を実施している我々の取り組みは、結果的に患者様にとって最善の選択肢を提供できると確信しています。
自分が兼定先生を始めとする先輩から受け継いだものを後世に引き継ぎたい。
特に、一龍堂で活躍してくれている先生達の中からも、優れた技術を持って開業する先生が続々と出ることを願ってやみません。
それと同時に、柔整界の発展のために、今後も精進していく所存です。

