今、『生きるってなんやろか?』 毎日新聞社

 ―科学者と哲学者が語る、

   若者のためのクリティカル「人生」シンキング―

   

石黒 浩 (アンドロイド先生)

鷲田 清一(大阪大学総長)   共著・対談

  

を読んでいるのですが、これが実におもしろい。



石黒氏といえば、大阪大学基礎工学科システム創成専攻教授で

アンドロイド研究における日本の第一人者です。


その石黒氏が、この本の中で、興味深いことを述べていました。


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人と関わるとき、

人間は、見かけと動きのどちらを重視しているんだろう、 

と考えました。


朝起きて鏡の前に立ち、僕たちは動きをチェックするのか、

あるいは見かけをチェックするのか。


多分、「今日の動きは大丈夫だ」

と確認する人はあまりいなくて、

多くの人が鏡の前で髪の毛をなでくりまわしながら、

見かけばかりを木にしているように思ったんです。


向こうから美人が歩いてきたら、

まず気を引くのは、

その動きよりも見かけの美しさに目をとめることが多いですよね。

となると、

人間はかなり見かけに縛られて生きているのでないか。


これまでのロボット工学は、機能と効率と安全を重視して

動きのみを研究してきました。


しかし、その時代は終わり、

人との関わりを最優先にした場合、

ロボットに新たに必要とされる要素はなんだろう。


その答えが、ロボットのデザイン、

いわば見かけではないかと思ったんです。


もちろん外見ばかりを優先するわけにはいかないのですが、

”目に見える”というのは

かなり人に対して影響力を持つ気がしてきたんですね。


そこでまず、僕は、人はどの程度みかけに縛られていのか、

という見かけと動きの研究をするために、

アンドロイドの開発を始めたのです。


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この一説は、イメージコンサルタントの立場としては、

とりあえず、赤ペンを引いておくべきところ(笑)。



そして、

ロボットの研究をすることは、人間探求に他ならない、と語る教授。


「心とは何か」

「人とは何か」

「なぜ生きるのか」


これらは、全て他者との関わりの中で語られるもの。

共振しないものは、ロボットではなく、物体に過ぎない

ということでしょうか。

またまた、非常に興味深いのが、

介護の現場で最も必要とされているロボットは、

お年寄りができないことをサポートするものではなくて、

結局行きついたのは、赤ちゃんと同じように

いろいろなことが”ちゃんとできない”ロボットだった

ということ。



なるほど、と思いましたね。

人間にとって、何が生きる力になるのか、ですね。




アトムの時代は、すぐそこにやってきているのだと、

実感する、実に興味深い1冊です。




でもね、石黒先生、

非常時に、感情抜きでガンガン活躍してくれるロボットの研究の方も

よろしくお願いします。



放射能の中で動けるロボットが日本にはなく(ほんとに無かったのだろうか?)

アメリカから借りてやっと、という状況は

かなりショックなことでした・・・。 はい。