今はおしゃれなレストランになっているけれど、建物は旧福知山信用金庫。
そのビルの二階のフロアがまるごと少年柔道の道場だった。
古い建物なので、大きなコンクリの柱が4本あるし、ガラスはところどころ割れていて板張りだし、隙間風が入るし、冬になると畳が凍るし、今思えばスゴイところで柔道していたと思う。
今は設備が綺麗でないと、格闘技もなかなか弟子が取れない時代になったが、ボク達にはこの道場こそが燃える一因だったのだ。
梶原一騎さんの影響かなぁ。
その後、市役所の傍に建った武道館に柔道教室は引っ越したが、この最初の道場はいい思い出になっている。
近所の兄貴分のやっちゃんがこの道場に通っていたので、付いて行ったのがきっかけだった。
体格の大きい人が小柄な人に投げられる光景に一瞬で魅了され入門した。
柔よく剛を制す
「柳のように…」と柔道を教えてくれた恩師、大槻嘉(よしみ)先生の偉大さを伝えたいけれど、子供のころのことなので、実はあまりよくわかっていない。
ボクが入門した時、先生は若くしてすでに六段で、その後、確か七段になっておられた。
これは全国でもかなり稀だと諸先輩から聞いた。
柔道が「寝技中心」という時代にあって、今でいう無差別級で全国で二位になったとか。
ボクの知る限り、大槻先生の直弟子の中で一番の有名人はプロレスラーの小橋建太さん。
学年が三年違いだったので、中学も高校も一緒にならなかったけど、学校の練習だけでなく、夕方の道場にもずっと通っていたのでよくかわいがってもらった。
小橋先輩がプロレスに入門したての頃に、福知山で興業があって、チケットをいただいたので観戦に行ったことがある。
ジャイアント馬場さんが本当に大きくて、通路の天井に影ができる人物にボクは初めて会った。
地方の合宿に行くと、大槻先生のお弟子さんや知り合いの方々から、大槻先生のスゴさや、その技の奥深さをいろいろと教わり、そのおかげもあって、高校でも自分は小柄だったがそこそこ強い方だったと思う。
(柔道の古い技については別の回でお話します。「トビグチ」とか…)
小学二年から11年間、柔道を続けられた。
「根性」という言葉でいうと、今はダメなのかも知れないが、学んだことはこれに尽る。
「あの人になりたい」「あんな風になりたい」と憧れて自分を鼓舞するだけでは乗り越えられない何かはある。
頭で考えるのをやめて、ひたすら繰り返し鍛錬を続けたことも。
今日「できた」と思ったことが、後日は「できない」ことも何度あった。
体に沁みついた研鑽だけは、意識がなくなりかけていても、たとえ偶然でも「発揮できる」と体験し、これこそが「根性の成せる瞬間」と感じた。
B型肝炎になっていたので、高校時代には一度死にかけるほど辛かったけど、高校卒業までうち込んだ柔道はボクの自信の源になっている。
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ちょっと前に、京都の舞妓さんを目指す友人を応援するまかないさんのアニメを観ていました。
そのせいか、昔、祖母のお店で会った芸子さん・舞妓さんの事を思い出します。
京都では、先にあいさつをするのが慣わしです。
一席設けてもらうのに、世話になる「旦那さん(ツテを持つ人)」にあいさつに行って御礼を先にします。
祖母はどうやら旦那さんにツテを持っていたので、田舎の祖母の割烹の座敷に芸子さんたちを呼ぶことが出来ました。
ハイヤー(背の高い特別なタクシー)で、祖母の座敷に来る芸子さんたちは、本当に特別な存在でした。
到着した芸子さんたちは祖母にあいさつに来ます。
恐らく祖母が元芸子で、先輩だったからか、祖母は上座から動かなかったなあ。
昆布茶か玉露、それとお茶菓子を出してもてなしていました。
芸子さんと祖母が難しい話をしている間、舞妓さんたちによく遊んでもらっていたのを覚えています。
キレイ過ぎて子供のボクでも緊張していた気がします。
まず見た目ですが、芸子さんは留袖に太鼓帯、舞妓さんは振袖にしだれ帯です。
裾を踏まないようにお着物をさばいて歩いたり、階段を上る姿は本当にキレイでした。
今はわからないですが、芸子さん・舞妓さんと旦那さんたちの関係を現代的にいうと、アイドルグループと推しを見守るファンの関係に近いのかなと思います。
祖母の店では、銀行や会社のエライ人や、絵描きさんなどがお席に来ていました。
そう言えば、あまり知られてなかったのですが、こういった宴会では、中くらいの鉢に水が入れてあります。
外国の方はフィンガーボールかと誤解されていましたが、指を洗うところではありません。
これはおちょこでお酒を呑む場合、返盃する時におちょこを逆さに入れて洗う場所です。
主に芸子さんや舞妓さんの方が使いますが、慣れたお客さんだと洗って返盃しているのを見たことがあります。
コロナ渦の今では考えられないかも知れませんが、お酒を酌み交わすときに、同じ杯を使うのは、おもてなしの最上の行為でした。
当時でも、舞妓さんは未成年もいますので、お酒を受けない人もいました。
芸子さんたちの上がるお座敷は、お酒が大抵進むのでうちの店の女中さんも客につかまって、なかなか降りて来なくなります。
ボクはおばあちゃんに言われて、廊下に出してあるお銚子やビール瓶を下げに上がる事がありました。
こっそりのぞく大人世界ですが、芸子さんの歌や舞妓さんの舞をチラッと観られるのは嬉しかったです。
「ミイラ取りがミイラになる」
女中さんやボクの帰りが遅いと、おばあちゃんにそんな言葉を教わりました。
