清・乾隆年間に太極拳法、剣法と陰符槍法を得意として活躍した武術家でらっしゃる「王宗岳」先生の著書「太極拳論」の紹介です。
「王宗岳」先生は、山西人。乾隆56年から60年(1791年 - 1795年)にかけて、河南、洛陽、開封などに滞在したとされています。
でも、「王宗岳」先生の太極拳法が、近代の太極拳と同じかは不明だそうです。
難しいですね。。。
でも、なんとなくわかるよーな
太極拳論 王宗岳
太極者、無極而生、動静之機、陰陽之母也。動之則分、静之則合。無過不及、隨曲就伸。人剛我柔謂之「走」、我順人背謂之「黏」。動急則急應、動緩則緩隨。雖變化萬端、而理唯一貫。由着熟而漸悟懂勁、由懂勁而階及神明。然非用力之久、不能豁然貫通焉!
虚領頂勁、氣沉丹田、不偏不倚、怱隱怱現。左重則左虚、右重則右杳。仰之則彌高、俯之則彌深。進之則愈長、退之則愈促。一羽不能加、蠅蟲不能落。人不知我、我獨知人。英雄所向無敵、蓋皆由此而及也!
斯技旁門甚多、雖勢有區別、概不外壯欺弱、慢譲快耳!有力打無力、手慢譲手快、是皆先天自然之能、非關學力而有為也!察「四兩撥千斤」之句、顯非力勝、觀耄耋能禦衆之形、快何能為?
立如平準、活似車輪。偏沉則隨、雙重則滯。毎見數年純功、不能運化者、率皆自為人制、雙重之病未悟耳!
欲避此病、須知陰陽、黏即是走、走即是黏、陰不離陽、陽不離陰、陰陽相濟、方為懂勁。懂勁後愈練愈精、黙識揣摩、漸至從心所欲。
本是「捨己從人」、多誤「捨近求遠」。所謂「差之毫釐、謬之千里」、學者不可不詳辨焉!是為論
【文語訳】
太極は無極にして生ず。動静の機、陰陽の母なり。 動けば則ち分かれ、静まれば則ち合す。 過ぎること及ばざることなく、曲に随い伸に就く。人、剛にして、我、柔なる、これを走という。 我、順にして、人、背なる、これを粘という。 動くこと急なれば、則ち急にして応ず。 動くこと緩なれば、則ち緩にして随う。 変化万端といえども理は一貫と為す。 着(技)、熟するによりて、漸く勁をさとる。 勁をさとることによりて(理)階は神明に及ぶ。 然るも力を用いることの久しきに非ざれば、 豁然として貫通する能わず。
頂の勁を虚領にして、気は丹田に沈む。 偏せず倚よらず、忽ち隠れ忽ち現る。 左重ければ則ち左は虚ろ、右重ければ則ち右はくらし。 仰ぎては則ちいよいよ高く、俯しては則ちいよいよ深し。 進みては則ちいよいよ長く、退きては則ちいよいよ促す。 一羽も加うるに能わず、一蝿も落つるに能わず。 人、我を知らず、我独り人を知る。 英雄の向かうところ敵無きは、けだし皆これによりて及ぶなり。
この技の旁門は、はなはだ多し。 勢は区別ありといえども、おおむね壮は弱を欺き、慢は快に譲るに外ならず。 力有る者が力無き者打ち、手の慢き者が手の快き者に譲る。これ皆、先天自然の能。 力を学ことに関するに非ずして為すところ有るなり。 察せよ、四両も千斤を撥くの句を、力に非ずして勝つこと顕らかなり。 観よ、耄耋(老人)の衆(人々)を御するのさまを。 快なるも何ぞ能く為さん。
立てば平準(はかり)の如く、活けば車輪に似たり。深みに偏れば則ち随い、双重なれば則ち滞る。毎に見る、数年純功するも運化を能わざる者は、 おおむね自ら人に制せらるるを。 双重の病ち、いまだ悟らざるのみ。
この病ちを避けんと欲すれば、すべからく陰陽を知るべし。 粘は走、走は則ち粘。 陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、陰陽相済して、まさに勁をさとる。 勁をさとりてのちは、いよいよ練ればいよいよ精なり。 黙と識り、瑞摩(研究)すること漸くにして心の欲するところに従うに至る。
本はこれ己を捨て人に従うを、多くは誤りて近きを捨て遠きを求む。 いわゆる差は毫釐(わずか)、誤りは千里なり。 学ぶ者、詳らかに弁ぜざるべからず。これ論と為す。