今日は25日です。
今年はいつもになく静かなクリスマスです。
いままで研究で忙しかったからか、クリスマスのことは全く考えずやっとクリスマスになって
朝からコーヒーを飲んでホッとしています。
アメリカはクリスマスは恋人同士ですごすというより家族で過ごすという伝統があり、
皆早々にクリスマス休暇で実家に帰っていきました。25日は90%のお店が閉まっていて、本当に家で過ごすのが当たり前なんだなーなんて納得します。
今年は11時からの教会のキャンドルサービスに行ってクリスマスを祝いました。
こうやって一人でいるのもすごく寂しいクリスマスになるかな・・・と思っていたのですが、
今までの怒涛の忙しさに自分を見失っているふちがあったので、こうやって一人にずっとなりたかったのかも。
案外寂しいというよりはほっこりした幸せ感を感じています。
そもそもクリスマスはひとりだといけないなんてことは全くなく好きにすごしていいものだったのです。
一人でぼーっとして研究のことを考えずに散歩したり読みたかった本を読み終えたり、洗濯をしたり
まったり出来ました。
私は答えを求めよう、求めようと走り続けてきたことに気づきました。
こうやって一人でぼーっとすることすらもったいないように感じられたのです。
常に何か新しい情報に触れていないといけないような・・・そんな錯覚に陥って、でもそれが本当だと信じこんでいました。それは自分でも気づかずにすごく負担になっていたようです。
人はどこかで必ずネジを緩めないといけない。
そんな当たり前の事にようやく気がつきました。
それはどんなプレゼントよりもかけがえのない大切な気づきに思えて。
そんな機会を与えられたことがなによりのクリスマスギフトだと感じられたのでした。
