徳楽寺(伊賀市)
三重県伊賀市西高倉にある真言宗御室派のお寺、徳楽寺(とくらくじ)です。
ご本尊:薬師如来
徳楽寺は、保延6年(1140)頃、藤原氏が京都東山九条に講善院を建て、新居荘の田二十町歩を寺社領としたとき、この地に薬師院と呼ばれる堂宇を建て、荘務を司っていたとされます。
室町期に舜栄法印が、徳楽寺として開山したと伝わっています。
また、天正9年(1581)第二次天正伊賀の乱のとき、織田信長の軍勢によって堂宇を焼かれ、このとき本尊の薬師如来は、天空に飛び去り、行方がわからなくなっていたが、あるとき村人が、東高倉の川の渕に潮がさすのを見て、川底に沈む薬師如来を発見したと伝えられ、その地を今でも「塩渕」と呼んでいます。
その後信者が、薬師如来に塩断ちをして願掛けをし、その分の塩が奉納され、奉納された塩が白い岡のようになったということで、山号の「塩岡山」の由来になったといわれています。
徳楽寺は、三重四国八十八ヶ所霊場 第三十六番、伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十七番、東海四十九薬師霊場 第三番札所にもなっています。
《御朱印》
伊賀四国八十八ヶ所霊場 第六十七番
奉拝
薬師如来
徳楽寺
東海四十九薬師霊場 第三番札所
奉拝 平成二十六年十一月一日
医王殿
薬師院 徳楽寺
【アクセス】 伊賀鉄道伊賀線「新居」駅下車、徒歩15分。
鵜宮神社
三重県伊賀市島ヶ原に鎮座する、鵜宮神社 (うのみやじんじゃ)です。
御祭神:事代主命
鸕宮神社の創立由来は、天平勝宝4年(752)奈良東大寺の実忠和尚が開創された村内にある正月堂との関係が深いとのことです。
南都に於いて、二月・三月両堂を開基され、二月堂にがつどうでの修二会の行法に全国一万三千七百余所の神々を勧請の際、釣りをしており遅参した若狭国遠敷明神が後悔され、実忠和尚の夢枕に立って、若狭の清水を毎年修二会行法中観世音に献ずる旨伝えたところ、二月堂参道下の岩石が裂け、白黒二羽の鵜が裂け目から飛び立ち、清水がこんこんと湧き出したと云います。
このことから修二会の行法が「お水取り」の名で有名になり、実忠が感銘して遠敷明神を良弁杉の下に祀り、鵜に因んで「鵜宮社」と称し衆庶大いに尊敬されました。
是に於いて正月堂の修正会と二月堂の修二会が略同じ行法を勧修する関係で、二月堂の「鵜宮社」を正月堂東南の地(現在地)に奉祀したら神妙なるべし、又南都と相似たりと勧請したのでした。
菅原道真公を奉祀した由来は、天正11年2月25日の洪水の際流れ来て、上川原の梅樹に止まられたのを里人邸内社に合祀したのが、夢のお告げにより、雷除天神として鵜宮神社に合祀し、雷除の霊験あらたかにして、寛文6年5月神恩報謝の意をこめ奉献した四角灯篭が拝殿左裏に建てられています。
表参道口左側の巨大な石灯籠は、高さ5.2メートル、重さは54.2トン、建立は天保14年で、田畑、山林が混雑し相続にも困る状態で、八ヶ年掛けて畝高を改め、無事終わったのを記念し、村人が木津川から運び米俵を持寄り積み上げたと伝えられています。
この四角灯籠と石燈篭は村指定文化財になっています。
鸕宮神社 拝殿
拝殿より本殿んを望む。
平成二十六年十一月一日 奉拝
【アクセス】 JR関西本線「島ヶ原」駅下車、徒歩15分。










