鉄旅と寺社めぐり写真紀行 -259ページ目

阪堺電車 阪堺線 石津駅

鉄旅と寺社めぐり写真紀行-阪堺電車 阪堺線 石津駅



阪堺電車・阪堺線の石津駅です。



ホームは、相対式2面2線となっています。



石津駅周辺には、石津太神社石津神社 などがあります。





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-阪堺電車 阪堺線 石津駅



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石津神社

鉄旅と寺社めぐり写真紀行-石津神社



大阪府堺市堺区石津町に鎮座する、石津神社(いしづじんじゃ)です。



御祭神:八重事代主神、大己貴神、天穂日神





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-石津神社



石津神社は延喜式(西暦927年・平安時代)神名帳に見られ、神社に伝わる古文書に「往古、事代主神(戎神)が此の地に五色の石を携え御降臨され、この地に置き給う」、故、此処を「石津」と名付く。



第五代孝昭天皇の7年(紀元前469年)8月10日の神勅(天皇の御命令)により祭礼を行う[日本最古の戎宮の由縁]以降、月の10日を月次祭(月々のお祭り)として現在に引き継がれています。



第十一代 垂仁天皇(紀元前29年~西暦70年)の御代には、出雲の国に住む野見宿祢が、当麻の蹶速と力競べで功を賞して領地を賜り、後に当宮の神官となる。「相撲」の祖とも言われ、又、天皇崩御の際の殉死の慣わしを「埴輪」によってこれに変える事を野見宿祢が献言、土師部の祖とされ、後世、菅原姓に引き継がれる。



第十六代仁徳天皇の御代行幸啓あり、祈年穀祭に毎年官幣使を立て給う。



第三十六代 孝徳天皇白雉3年(652)当宮行幸啓の際、御手洗川の御鏡落とし給う是に依りて御手洗川を益鏡の小川と云う(石津川の由縁)。



第四十六代孝謙天皇の勝宝元年(749)行幸啓あり。



同5年神主紀伊守を内裏に召し禄を給う。



同天平宝宇元年、紀伊守に藤原朝臣の姓を給ひ、従三位大納言を授く、河内の狭山、野田の二村を神領とせられる。



当時の社領は八町四方に及び、殿宇は、厳然として広大類い無く、出雲大社に次ぐ御社なれば、石津大社とも云える所以なり。



その後の幾度もの兵火により壮大な社殿も烏有に帰し広大な神領も失われつも、漸次建営せり。



第九十六代後醍醐天皇行幸啓し給ひ、奉弊し給ふ、その上、神官に冠及び沓を賜る。



徳川五代将軍 綱吉公より元禄10年(1697)朱印地賜り、河内四郡及び堺の付近は悉く石津の氏子なりき。



第百十五代 桜町天皇の寛保3年(1743)神主 飛騨守 石津連 陸野茂基に従六位下に叙せられる。



               「寛保二年壬戌の古文書、巻三・石津大社畧記より」





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-石津神社



末社



【左】野見宿祢社(野見宿祢神)、【右】天満宮(菅原道真公)





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-石津神社の楠木



石津神社の楠木(鳥居横)





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-石津神社の楠木



石津神社の楠木(拝殿前)





《御朱印》


鉄旅と寺社めぐり写真紀行-御朱印 石津神社



泉州石津神社



石津神社



平成二十五年六月八日参拝






【アクセス】 阪堺線「石津」電停 下車、徒歩12分。





和泉西国三十三所観音霊場 第十一番 念仏寺

鉄旅と寺社めぐり写真紀行-和泉西国三十三所観音霊場 第十一番 念仏寺



大阪府堺市西区浜寺石津町にある、和泉西国三十三所観音霊場 第十一番 念仏寺(ねんぶつじ)です。



山号の乳岡山は、百舌鳥古墳群の最西端、前方後円墳の上にあり、石津太神社の神宮寺と言われ、地元の人から「お山の寺」と呼ばれていました。




鉄旅と寺社めぐり写真紀行-和泉西国三十三所観音霊場 第十一番 念仏寺



念仏寺 本堂





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-和泉西国三十三所観音霊場 第十一番 念仏寺



鐘楼





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-念仏寺 紫陽花



境内に咲く紫陽花





鉄旅と寺社めぐり写真紀行-念仏寺 睡蓮



境内に咲く睡蓮





《御朱印》


鉄旅と寺社めぐり写真紀行-御朱印 念仏寺(堺市)



奉拝 平成二十五年六月八日



十一面観世音



 乳岡山 念佛寺





【アクセス】 阪堺線「石津」電停 下車、徒歩5分。