一冊のエンディングノートがきっかけで、人生を振り返る回数が増えました。

先日、弟と電話で有料老人ホームに入居している父の事で長話をしていた時です。途中から雑談になりました。

父の家系は祖父をはじめ、叔父は内科医、叔母は薬剤師、親戚も産婦人科医、獣医、従兄弟全員も医者という医療関係者が揃い踏みですが、父は地方公務員でした。弟は中学を卒業後にスポーツ推薦で高校に行き、それ以来実家で暮らしたことはありません。


小学生のころから中学卒業まで、素人指導が行き過ぎて、父から竹刀で叩かれ、本人はDVを受けたとトラウマになっているようです。

父がヨイヨイになり、施設に入っても、何かあれば仕事の都合を付けて、駆けつけなくてはいけない状況にモヤモヤしているようです。


私は反対に、何の干渉もされませんでしたが、小学生低学年の頃から、将来は薬剤師になれと言われて育ちました。

それに何の疑問も持たず、そういうものかと思っていたのはこのように医療関係者が周りにいたからだと思います。

今なら、自分は地方公務員のくせにと、突っぱねる事もできたでしょうが、両親が言う事は間違いがないと思っていたのです。


大学は薬学部なら東京でもどこでも出してやる、でもそれ以外なら家から通える短大か臨床検査技師の専門学校に行きなさいと言われました。

薬学部受験は全滅。

言うだけで、塾に通わせてもくれず、私の成績にも無関心で、週末は相変わらず弟の遠征先にくっついて年の離れた一番下の弟と母と3人で泊まりで出かけていたものです。


行きたくもない専門学校の受験はすっぽかし、落ちたと嘘を付き、家からは通えないけど同じ県内の短大に進学しました。

薬学部志望だったので、受験科目が理系の短大を探し、情報系学部に進みました。興味がないので、授業はつまらなかったです。

短大で良かったと思いました。四年制大学ならあと2年もこんな授業を受けなければいけないからです。

短大を卒業したあとは、父の思惑通り実家から通える企業でプログラマとして丸8年勤務し、結婚を期に辞めました。


結果的に手に職があったから、元夫と別居して仕事を探した時も割とすんなり決まりましたが、本当の私は何になりたかったのだろうと考えてしまいました。

やりたい事が見つからないと言う人は多いけど、やりたい事を考えた事がない人生ってどうなの?

と60歳を過ぎて、自分の馬鹿さ加減に今更ながら呆れてしまいました。


警察24時という番組を見れば、国家権力を手に入れて、痴漢をとっ捕まえる刑事になりたかったなあと思うこともあれば、ちゃんと英語を勉強してCAさんというのもイイなあとか、叶わなかった夢を妄想しています。

まだ子供が小さいうちに、もっと早い内に離婚していたら、まだ違っていたのかもしれないと思いながらも、まぁ私なんて所詮この程度なのかもしれないなあと言うところに落ち着きました。

ただ、残り少ないこれからの人生は無駄にしないように、明日死んでも構わないと思えるくらい、大切にしていきたいですね。