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風の吹くまま 気の向くまま

日記書いたり、小説(駄文)乗っけます。たまに、ブロネタにすがってたりします

電車、寝過ごしたことある? ブログネタ:電車、寝過ごしたことある? 参加中

ここ最近、よくやらかします。
あと冬場。

電車のなかって程よく暖かいのと、電車の揺れが心地いいんですよね。
座っていると思わず寝てしまいます・・・。

昨日は帰りの電車で2駅寝過ごしてしまったし
今日は行きの電車で1駅寝過ごしてしまって・・・。


私の分析だと、

・寝不足

・鼻炎薬の副作用

が重なっているのかなと。


私、スギ花粉症持ちでこの時期鼻水が辛いんです_:(´◇` 」∠ ):_
なのでいつも出かける前に、市販の鼻炎薬飲んでいくんです。

その薬、成分の中に眠くなる成分が配合されているらしくてですね。
薬が効いてくると、すっごく眠くなるんです。

眠くならないタイプの鼻炎薬も最近売っているので試してはみたんですけど
なんだか効果が薄くて(*´iωi`*)
眠気覚ましにコーヒー飲んで誤魔化してみたりしても結局睡魔には勝てず(´・ω・`)

帰りの電車の中とたまにバスの中で寝てしまうので(これは季節関係なくいつものこと)
夜眠気が来ないこともしばしば、、、orz

こんな時間にブログを更新しているのも、今眠気来てないからなのです・・・
これからまた6時間後にはお出かけするのに・・・大丈夫かなあ。心配です(はよ寝ろ


2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中


同じネタで、5日前にも更新したのですが・・・

2011年の3月11日は、家でテスト勉強してました。

テスト勉強をしなくてはいけないほど、頭は悪くなかったんです。
成績では学年TOP10をキープ出来るくらいの学力です。
(と言っても通っていた高校の同級生たちは勉強嫌いが多かったです。
赤点常習者がいるレベルで。)

むしろ通っていた高校の偏差値で考えたら、頑張ればもう少し上の学校行けたかなぐらい。
しかし、私は理数系が本当に大の苦手科目だったので
苦手科目の偏差値に合わせた高校を選びました。
中学2年、3年のときはクラス担任が数学の教員だったのですが
私があまりにも点数が取れないので「40点!せめて40点取れるぐらいまでは頑張ってくれ」と言われ
本当に40点台とり続けたぐらい苦手です。

結果偏差値は40(今はもう少し下かな?)と、県内では結構おバカな類の高校へ入学しました。
入学してすぐの中間テストの現国・英語で90点台を叩きだしてしまった
(理数系は60~70点台)のが災いしたのか
同級生たちの非難の目と言いますか
先生方のちょっとした期待の眼差しに胃が痛かったのを覚えています。


5年前の3月はたしか高校の2学年上の先輩方の卒業式が終わって
私たち在校生は学期末テストに向け頑張る人は頑張る時期でした。

ちなみに私のテスト勉強していた理由は退屈しのぎです。
ええ、他にやる事がなかったもので。

あの日地震が来なければ、自分はテスト勉強を続けただろうかと思い返してみると
多分、続けたと思います。
あの日は、何時になく集中力が高かったんです。
テスト勉強のプランも結構きっちり立てていました。

まあ、地震が来てからは恐怖でそのプランも、勉強のやる気も削がれてしまって
揺れが収まったあとは勉強もせず、だらりと日常を送っていました。

久しぶり更新がまさかこの日になるとは。



今日で、東日本大震災が発生して5年経ちました。

5年前。16歳、かな。
私はまだ高校1年生でした。(もしかしたら2年生だったかもしれない

震災発生前は、私は高校の学期末テストに備え
珍しくテスト勉強をしていました。
というのも、先輩方の卒業式が終わり
バイトの予定も、どこか出かける用事もなかったので
なんとなく始めたテスト勉強でした。

私は昔から家で勉強するのが苦手ですぐ他のことが
気になってそちら側へ行ってしまうのですが
その日は、比較的勉強が捗っていたように思います。
勉強中喉が渇くたび、リビングに行くのも面倒なので
粉で作るタイプのミルクティを持って自分の部屋にいました。

初期微動が来た時は、まだそこまで大きな地震になるとは思わず、むしろ「揺れた、のかな?」ぐらいでした。
(我が家の前には大きな道路があり、そこの前を車が通るたび
当時の私の部屋は少し揺れるのです)
次第に揺れが大きくなるにつれ、傍に置いてあったミルクティが零れ始めてから私は机の下にもぐりました。
もちろん、部屋のドアを開けてから。

そこからは、もうプチパニックでした。

徐々に大きくなる揺れと
だいぶ溢れてしまったミルクティの後片付け。
揺れが収まったら、と思っていてもいつ収まるのかは分からない
部屋に一人しかいないという孤独感。
リビングに母親が居るかもしれないし、居ないかもしれない。
そう思ったら途端に怖くなって、机の下でただただ怯えていました。

しばらくして、揺れが収まった後
Twitterやテレビで福島県や岩手県の海沿いの街を襲った大津波など様々な被害情報を知りました。
当時は、買い占めや緊急避難所の情報も混乱の中に埋もれ
知りたい情報が、求められている情報がなかなか報道されないこともありました。
騒ぎに乗じて、デマを流した人もいました。

あの日から5年。
まだ復興は完全とは言えません。
でも少しずつ一歩一歩復興に近づいているように思います。
それは仮設住宅問題や原発の問題など様々です。

私たちに出来ることは何か、と問われると
5年前のあの日を忘れないこと。
5年前のあの日に学んだことを次に活かすこと
としか言えませんが。それが大事なのだと思います。