手術をした患者の胸をなめたとして、準強制わいせつ罪で起訴された医師に対し、東京地裁が無罪判決を出しました。
 この事件の争点や証拠については、江川紹子さんの以下の論考が詳細です。このブログも、この論考の記載に従って述べます。

乳腺外科医のわいせつ事件はあったのか?~検察・弁護側の主張を整理する
 https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190119-00111366/

 「事件」は2016年5月10日に起きました。
 そして、患者の訴えを知った警察が病院に駆けつけ、患者の胸から微物を採取するなどして捜査が始まりました。
 医師は8月25日に逮捕され、起訴されました。
 11月30日に東京地裁での初公判が開かれ、医師は12月に保釈されました。

 この事件では、患者に付着していた微物のDNA鑑定が問題になりました。
 鑑定した科捜研(科学捜査研究所)の研究員の証言によると、重要な数字は研究員が作業の過程をメモしたワークシートに書かれているだけで、そのワークシートは鉛筆で記載され、消しゴムで消して書き換えた形跡があったそうです。
 さらに、 研究員は、鑑定で使用したDNA抽出液の残液を「2016年の年末の大掃除の時に廃棄した」と証言したそうです。
 判決は、こうした一連の杜撰さを批判しているそうです。
 無理もないと思います。

 もし、起訴した検事が捜査段階で鉛筆書きのワークシートを見ていれば、いくらなんでも警察をとっちめて、きちんとした報告書などを作らせたでしょう。
 逆に言うと、おそらく起訴検事は起訴前にこのワークシートを見ていないと思います。
 警察が好き好んでこのような貧弱な証拠を検察に送るとは考え難いからです。
 また、研究員の証言によれば、残液は起訴後に廃棄されています。
 
 このような事実からは、起訴検事は、判決に批判された証拠状況に接することができないままに起訴したと思われます。
 となると、必ずしも起訴自体が強く批判されていいものかどうかは難しいところです。

 もっとも、起訴に際して証拠を慎重に検討することが絶対に不可能だったとも言えません。
 この「事件」は5月10日に起きていますが、逮捕は8月25日です。つまり、その間に内偵捜査つまり準備の時間があったわけです。
 被疑者が医師なので、おそらく警察は逮捕前に検察に相談していると思います(被疑者の職業によってこうした扱いがあることの是非は、ここではおきます)。大まかな証拠関係を説明し、逮捕後の検察との連携を図るためです。
 これを検察から見れば、主任検事が逮捕の可否やその時期についてのゴーサインを出し、これに従って逮捕されると、多くの事件では起訴を余儀なくされます。恐ろしい表現なのは承知していますが、警察から事前に相談を受けた事件で逮捕のゴーサインを出すことは、すなわち起訴の了解でもあるのです。

 この事件で、おそらく警察は事前の相談で検察に鑑定結果も報告しているでしょう。となると、患者の迫真性のある供述も踏まえて、検事は逮捕のゴーサインを出したのではないでしょうか。
 まさか鉛筆書きのワークシートがあるとは知らずに、です。

 逮捕・勾留されれば、最長20日間の勾留期間中に起訴しなければなりませんから、勢い捜査は切羽詰まったものになります。このため、起訴検事は鉛筆書きのワークシートを見る余裕がないままに起訴してしまったのではないでしょうか。
 
 そして公判です。
 公判検事は、ここで初めて鉛筆書きのワークシートや残液の廃棄を知ることになります(東京地検では、起訴検事と公判検事は別人なのが普通です)。廃棄は起訴後なので、これまた起訴検事は知る由もありません。
 ワークシートについては、この段階で報告書化の手当もできなくはないでしょうが、もはや手遅れと判断したのかもしれませんし、作成者である研究員に証言させれば大きな問題にはならないと判断したのかもしれません。

 ただ、公判検事は廃棄には青ざめたでしょうね。裁判が続いているのに、最も重要な証拠が廃棄されていいはずがありません。
 そしてその理由です。「年末の大掃除で廃棄」とは、呆れてものも言えません。


 果たしてこの証言を信用していいのかが疑問ですが、廃棄の理由としては、大きく二つがあると思います。
 まずは、証言を額面通りに信用したとして、「これが警察の平常運転かもしれない」ということです。モラルが問われるのは当然ですが、いつもこんな取り扱いをしているのなら、どうしようもありません。


 次に、意図的に残液を廃棄した可能性です。そう疑われても仕方がないと思います。
 そして、意図的な廃棄を隠すため、やむなく「大掃除で廃棄」という理由を創作した可能性があります。こんな証言をさせる公判検事の心中いかばかりと思いますが、証人テストの際に証人が言い張ったとしたら、どうしようもありません。
 あるいは、検事もまた意図的な廃棄を知って、それを表に出さないために、「大掃除で廃棄」の証言でいくという「手打ち」をした可能性もゼロではないでしょう。
 ですが、検察が指示して廃棄させたとまでは考えたくないところです。廃棄が裁判所の心証を害するのは間違いなく、有罪を求める検察にメリットがないからです。
 もっとも、最悪の邪推ですが、再審請求事件での検察の対応を見ていると、この事件でも、有罪を維持するために再鑑定を阻もうとして、敢えて廃棄させたとの見立ても完全には否定できないところでしょうか。まずあり得ないと言いたいところですが。
 
 この事件で検察が反省すべきところがあるとしたら、私は、身柄事件にしたことだと思います。
 先に述べたように、なまじ締め切りのある身柄事件にしてしまったため、証拠をじっくり検討する余裕を失い、起訴してしまったのではないでしょうか。
 後知恵で批判するのは不本意ですが、少なくとも逮捕前に検事が患者の事情聴取をするとともに、医師も任意で取り調べて弁解を聞いていれば(もっとも、黙秘権を行使される可能性はあります)、この時点で「せん妄」を知ることができて、後の結末を避けられたかもしれません。

 そもそも、この医師を逮捕・勾留する必要があったのでしょうか。
 最も重要な証拠である微物は「事件」当日に採取されていました。また、医師が患者に接触して圧力をかけたり、医師に有利な供述をするよう働きかける可能性はほぼないでしょう。
 それに、医師を身柄拘束したところで、病院関係者の「口裏合わせ」は防げません。これを理由に接見禁止処分がついていたのではないかとは思いますが。
 何のための逮捕・勾留だったのかと思います。おそらくは自白獲得のためでしょうが。

 捜査は原則として任意でなければならず、被疑者の身柄拘束はいわば最後の手段としなければなりません。
 必要もないのに人を身柄拘束していいはずがないのです。
 そして、この事件では、被疑者を身柄拘束したために、かえって捜査が不十分になったのではないでしょうか。
 だらだらと捜査を続けることも被疑者にとっては長い苦痛になる問題がありますが、警察・検察は、安易な逮捕・勾留が捜査にデメリットとなることも意識すべきだと思います。