11歳の小学校6年生の娘と3歳の保育園に通う息子がいる。
ママが仕事でいない夜のご飯の時間に、
娘と話をしているながれで、
宿題や塾以外でも勉強をすることや、忘れ物しないことや、休みの日も早く起きることの大切さを
話していた。
基本的なことだと思い、伝えたつもりだが少し言葉が強かったのかもしれない。
娘は「うん、わかった」と言い部屋へ戻っていった。
いつもより少しだけテレビの声がリビングに響く。
静かにご飯を食べていた3歳の息子がポツリと言った。
「ねえね(お姉ちゃんのこと)は、
じてんしゃにのるのがじょうずだねぇ。
ぼくは、
たおれない自転車(補助輪付自転車のこと)じゃなきゃのれないよ」
そして、僕を見て、
ねえね、すごいよねぇ
その言葉にハッとした。
息子は小さな体で、お姉ちゃんを守ろうとしたのだ。
息子の言葉を反芻しながら
もうすぐ中学生になる娘の気持ちを考えてあげていなかったと反省。
彼女のペースで、彼女のやり方ができつつある成長過程の中、
彼女の成長を見てあげていなかったのかもしれない。
できることになったことに
目を向けることの大切さ。
3歳の息子は、きっと心から自転車にすいすい乗れるお姉ちゃんがすごいと思っているのだろう。
でも、それは当たり前なんかじゃない。
彼女が小学校に入って、ゴールデンウイークに
公園で何度も転んで、乗れるようになったのだ。
「そんなの当たり前」、だなんて思ってはいなかったつもりだが、
当たり前だと思っていたということになる。
みんなができることはすごくないの?
3歳の息子がオムツがとれたら褒められるのに、
お姉ちゃんが自転車にのれるのは当たり前になってしまうのは違うよね。
それは何歳になったって変わらない。
凄いことなんだ、
偉いことなんだ、
素晴らしいことなんだ、
笑顔で毎日を過ごしていることは。
日々を積み重ねていることは。
できることがたくさんあるじゃないか、
できるようになったことに、できることに、でき続けていることに
もっと目を向けるべきではないか。
5歳の娘がいるシングルマザーと結婚すると報告した時に
母親に言われた言葉。
「帰りたくなる家にあなたがするのよ」
3歳の息子の言葉で、当たり前の大切な気持ちに気づかされた。
ぱぱ、ニコニコもどった?
ごはん、おいしいね
この笑顔を見て、自分の器の小ささと同時に
「この子は、人生何回目なんだろう」
と思ってしまった。
寝る前も毎日、3歳の体の小さな仲裁者は、
「ねえねだいすき、ままだいすき、ぱぱだいすき、おやすみ」
と言って寝る。
当たり前じゃないな。
”もっともっと”、じゃないね。
”今に感謝”して、あるものに感謝して、また毎日を過ごそうと思うのです。