例えば、アイドルの卒業に対する“おめでとう”の一体何がめでたいのかというと、一つに、そのアイドル人生を全うできたことに対する祝福なのだろうと、夏ハロのベガ公演のスタートラインで発狂しつつ、おまいつ石田ヲタ越しにステージで躍動する石田さんを見ながら思ったりしました。


ついこの間始まったような気がする夏ハロも、あっという間に折り返しとなった先週の大阪公演でした。例に漏れず、今年のハロコンも最高で、また例に漏れず、毎週楽しく過ごさせていただいています。




相変わらず推しメン的なものもなく、ただただビヨーンズの応援の足しになればと現場に参戦しているわけですが、今の僕はもはや、10人が幸せにアイドル人生を全うするためだけにオタクしていると言っていいような感じです。

オタクなりに幸せなアイドル人生とは何なのかに思いを巡らしたところで、まあいつだって答えは出ないものですが、オタクが何らかそこに寄与できることを考えてみると、一つに、今日の現場にも自分のオタクがいて自分を見てくれている、という確信さえあれば、それでいいのだろうと思うなどしています。
(それがアイドルにとって当たり前のことになっていれば尚のこと良いです。)


向こう側からは、オタクの強いも弱いも上も下も何もなくて、フロアが盛り上がってるだなんだとか、多動だ地蔵だとか、おまいつだとかライトだとかもなく、迷惑も厄介も、良いも悪いも、正しいも正しくないも何もないというか。

頑張って準備してきたものに対して、自分を見てくれている自分のお客さんが、今この瞬間にも目の前にいるということ、結局のところ、それがアイドルに対してオタクがするべきことの全てのようにも思いますし、(揶揄されがちな「出席確認」的な概念の重要さがここにあるとは思います。)

更に言えば、それが必ずしも僕自身である必要もないとも思っており、常に誰かがその機能を担えていれば、それで良いと思います。




ハロコンが確かに難しいのは、例えばビヨーンズ以外を目当てにしている客も無数にいるというフロアにあって、ハロコンはハロコン、ビヨの単独は単独としてあらゆる意味で違いがあって、メンバー側にしてもビヨヲタ側にしても、何とかしてアジャストしていかないといけないよねということです。それでもビヨーンズの出番はありますから。

実際、ハロコンの地方公演については、おまいつすらまともにいない状況がほとんどであるし、ただでさえ難解化しているビヨ曲のコールについても、フロアではなかなかの孤軍奮闘というような状況も少なからずあります。

オタク活動を休んで在宅している間も、毎週どこかでメンバーとオタクは現場を積み重ねているという事実が確かにあるということは、口だけ(SNSだけ)のビヨヲタには肝に銘じていてほしいなとは思います。




またあるいは、その寄与していくプロセスにおいて僕自身も楽しければ、まあ良いよねくらいの話はあり、裏を返せば別に僕自身が楽しめなくてもいいわけですが、(そこに僕のオタクとしてのあり方の歪みはあるようには思います、一生消えない大切な歪み)

まあ幸い、ビヨーンズの作るステージはどんな時も最高に楽しいですし、現状は夏ハロが楽しくて仕方ないくらいなので、ひとまず台風7号も羽田空港をかすめ、無事開催されそうな明日の福岡公演が楽しみです。


というわけで、明日も(明後日も)、その先も、幸せな現場であるといいなと思います。

何よりその積み重ねが、あの子達の幸せなアイドル人生を形作っていくはずですから。