こんにちは。
とても久々の更新になってしまって
ごめんなさいアセアセ

今年の4月から新社会人になって、
バダバタ忙しいのもあり
新しい環境になれないストレスや
他にもたくさん色々なことがあり
体調も崩してしまっていて
なかなか更新がすることができませんでした。
申し訳ございません(;_;)

さてさて、
早速ですが本題の方へ。

私が初めて、病気を発症したのは
小学3年生の12月でした。

その時、日本中でノロウイルスが大流行していて
私の家も、弟がノロウイルスをどこからかもらってきてしまい家族も、私含めほぼ全員が
たちまち感染しました。

私が発症してしまった場所が、
この後の人生を大きく変えてしまう事に
なるとは、この時は全く考えもしませんでした。

弟がノロウイルスにより体調を崩した時
まだ弟が小さかったのもあり
両親も私自身も小さい頃はよくはいたりとかあるのでノロウイルスだとは思っていませんでした。

それから二日後、
私は小さい頃からの幼馴染の家族が
私を温泉に連れてってくれる事になりました。

幼馴染と、その家族と私。
という形です。
私の家族は弟が体調を崩していたので
家で留守番でした。


その日、
幼馴染とお昼にラーメンを食べました。
そして夕方ごろ温泉へ出発。
でも出発直前くらいからなんだか
胃がムカムカするなーとは
思っていたのですが、お昼に食べたラーメンが原因かなと思いあまり気にしてませんでした。

それよりも、私の性格上
今でもそうなのですが家族以外の人に
迷惑をかけたくない思いが強く
体調が悪いと言いだせませんでした。

それが、この後の人生に
大きく影響するなんて…

何度後悔したことかです。。。

そして、温泉まで約1時間くらい車に乗って
行きました。

その移動中に、どんどん気持ち悪さが増していたのですが言いだせず。

そのまま温泉についている
プールにみんなで入りに行ったのですが
プールに少しつかった瞬間
とてつもない吐き気に襲われて

これはやばい!と急いでプールをでてトイレに向かったのですが間に合わず…

プールサイドでもどしてしまいました。

その時、
周りから聞こえてきたんです

最悪。
気持ち悪いんだけどー。
あり得なくない?
くっさ。

お客さんがたくさんきていたので、
たくさんの悪口を言われたのを覚えています。

その直後すぐに、
幼馴染とその家族が駆けつけてくれて

お店の従業員の方々が
大丈夫ですかと、片付けてくださって
本当に色んな人にたくさんの迷惑をかけてしまった事に申し訳なさすぎて
私の心はパンク状態でした。

そしてそこには、
家族もいないそんな状態で
とっても心細かったのを覚えています。

その後すぐに、
幼馴染の家族が私を家に送ってくれて
家に着いたらもうそこは地獄絵図。

私だけではなく、
母も発症をしていて、わたしもはきそうなのに
トイレは埋まっているわ
でもう本当に大変でした。

そこから1日半くらいは
はくものがないのにはきつづけるかんじで
本当に大変でした。

その後すぐに下痢も止まらなくなり
脱水症状にもなりました。

本当にノロウイルスはきついので
皆さん、徹底的に予防してください。

そしてこの一連の出来事が私の人生を
大きく変えました。

それから5日後、
ようやく元の生活に戻り
普段のように過ごしていました。

そして家族と次の日に、
映画を観に行く予定だったので
今日は早く寝ようと布団に入りました。

しかし私は夜中の2時ごろに
突然呼吸が苦しくて目が覚めました。

家族にもあまり体調が悪いことを言えなかったのでこっそり私はトイレに行って
呼吸が苦しいのを耐えていたことを
今でも鮮明に覚えています。

すると、その時
お姉ちゃんが私の異変に気付いてくれたんです
すぐに母を起こして
その私の光景をみて母が大パニックを起こしていました。

救急車!?

その声が聞こえて、
私はとっさに大丈夫だと
答えた記憶があります。

全然大丈夫じゃなかったんですけどね笑笑

するといつも冷静なお姉ちゃんが

お母さん、これきっと過呼吸だと思うから
なんか袋持ってきてくれない?

と母に言いました。

そして、その袋をお姉ちゃんは私の口に持って行きゆっくり呼吸してー

と処置をしてくれました。

するとあら不思議
あんなに苦しかったのにすっかり治ったのです。

何事もなかったかのように、
その日また寝ました。

朝起きていつも通り、支度をして
映画館に出かけました。

でももう地獄の日々ははじまっていました。

映画館に着いた途端、
また昨日の苦しさが襲ってきました。

とても、映画を観れる状態じゃなく
すぐにお姉ちゃんが迎えにきてくれて家に帰りました。

そこから、30分おきに繰り返される
過呼吸発作。

私は本当に死んでしまうのではないかと
恐怖に怯えていました。

そこから毎日毎日どんどん症状は悪化して行きました。

両親は大きな大学病院に私を連れて行きました。

そこで初めて、娘さんは
パニック障害、過換気症候群ですと
診断をうけました。

私はまだ幼かったので
さっぱり意味がわかりませんでした。

早くこの苦しさから解放してくださいの
いっしんでした。

これが私の、パニック障害人生のはじまりのお話です。

また続きは書きます。

フォローしてくださってる方本当にありがとうございます。

いちご大福いちご