遠くから見たら笑っている顔に見えたのですが、

貼ってみたらそうでもなかったショボーン  眼医者いってきます…。

 

 

 先日吹田市の万博記念公園平和のバラ園でのボランティア活動時に撮っておいた写真を貼りたくなったので、半年前の記事に貼り付けました。

 

 ジジィは過去記事に書いているように幼少時より霊的な体験をしてきましたが、大半は自分では信じていません。半ば拒絶感があります。

 

 社会全体が不安定な時代になるとオカルト的なものが流行るようです。惑わされることなく日々の生活を過ごさねばと思います。

 

 でも、説明しがたい事もあるのは事実なんですね…。

 

ドッペルゲンガー、2度見たら死ぬやて。ジジィはリーチがかかってまんねんな?爆  笑 

 

 皆さんはこの話をどう思われますか?中学三年生の受験勉強時に経験した話です。かなり厳しい塾、スパルタ式とでもいうのでしょうか?宿題も半端なくまさに泣きながら勉強していました。そしてこの夜も限界を超えるくらい脳が疲れていたのでこのような不思議な経験をしたのかもしれません。私は受験期に同じ体験をした人は少なからずいるのではないかと思っています。

 

 同時に存在するはずのないもう一人の自分を見た…。ドッペルゲンガーと呼ばれる話です。

 

 その夜も必死で勉強していました。塾の先生が怖かった。でもそのおかげで英語の成績は学年で1番になったこともありました。絶対敵わないと諦めていた秀才たちについに勝てた。努力は嘘をつかないという事を体験できました。(数少ない自慢話もさせてください)

 

 2階の自室の机に向かい勉強していて午前2時を回ったころだと思います。勉強の手を止め一息ついた時でしたが、その時背中側にある部屋の扉が開いたのです。何だろうと振り向きました。なんと扉を開けていたのは自分だったのです。驚いた顔をしていました。

 

 ほんの一瞬だったと思います。自分の姿はかき消すように消えました。何だろうという感じで不思議と怖いとかいう気持ちはなかったです。それから勉強を再開。ほどなくしてトイレか冷蔵庫の中の食べ物を探しにか忘れましたが階段で1階へ下りました。用が済んだので階段を上がり半開きの扉を開けました。なんといるはずもない机に座っていたのは驚いた顔をしてこちらを見ている自分自身でした。

 

 同じ時間に同時に存在することのないもう一人の自分。時間の歪みなのでしょうか。極限状態のための幻影だったのでしょうか。わかりません。私も驚いた顔をしていたはずです。数十分前に見たもうひとりの自分の顔と同じように。

もう一人の自分もすぐにかき消すように消え、私は誰もいない椅子に座り直し勉強を始めました。

 

 でも。消えるのが扉を開けた自分であったなら。何かの本でドッペルゲンガーは2度目で死ぬ、とありました。荒唐無稽な話です。でももし消えていたら私はどこへ行くのでしょう…。

 暴露系ブロガーのジジィはこれで破門されるんと違うかナ

 

焼き菓子 保育園のバザーでも人気

 

キャンプ料理ではデザートに焼きリンゴを作ります

 

 

 有名かどうかもよく知らないのですが料理系ユーチューバーの「パンツマン」さんをご存じでしょうか?

  

  料理好きのジジィは彼の弟子なのです。もうだいぶ前になりますがサラリーマン時代、仕事繋がりのあった会社の社員さんだった彼に休憩時間の時に「弟子にさせてもらっていい?」と一応スジを通す形で話したんです。まぁ雑談の中で出てきた軽いノリですが。

 

    職場での師匠はいつもよく通る声でしゃべったはりました。テンションはかなり高めですが、基本的に非常に真面目な方です。吉本興業のニューヨークさんのチャンネルに出演した時、包丁の使い方がなっていないとかさんざんイジられて、『おまえがやれやっ!!』とブチ切れてニンジンを投げつけた動画を観ましたが、普段もあれに近い感じではなかったかと思ます。

 

 あの番組を観ただけでも、料理の腕前はジジィの方が師匠より遥か上を行ってます。こっちだって兼業主夫歴は20年を優に超えてますし、そもそもあのような砥げない刃物は使いません。ジジィが勝てないのはクッキングパパくらいですよ。

 

    立場上、我々には基本丁寧に接してくれますが、何故かジジィにだけは最初からタメ口だったんです。今思うに自分より年下だと思っていたと思います。何故ならある時を境に急にジジィに敬語を使うようになったからです。

 

 誰かに実年齢を教えられたのでしょうね。ジジィは若く見られるのでよくあることです。弟子入り志願はその後だったので、負い目もあり余計に何も言えなかったのでしょう。

 

    晩ごはんの買い出しに行くスーパーマーケットでたまに会うこともありましたが、退職した今は何故か出会うこともなくなりました。

 

    パンツ1枚の姿で料理を作ることから名づけられたパンツマン。夏だったしジジィも師匠にあやかろうと「シャツ1丁」とか「Zeenra」とかを名乗ろうと考えたのですが結局師匠に相談できずじまい。

 

 ふと気になりネットで検索したら今も機嫌よう活躍したはりました。

 

    このブログのことは友人知人知り合いの中で10人にだけ話し、基本口外しないでとお願いしています(逆に不特定多数の方々は大丈夫です!時間があるときに読んでいただけるとジジィは喜びます)。

 

 なので師匠はこのブログを見ることはないはずですが、もし万が一見られたら「いらんこと書いて。挨拶にも来んし、もう破門でいいですよね?」くらいは言われてしまうかもしれませんなァ。

 

姫路城お菊の井戸の前での記念写真に写り込んだものの正体は?

 

 数年前に姫路城に花見に行った時の写真が出てきたので、怪談話の13,14に貼り付けてみました。

 記事も少し加筆しています。

 

 当然のことですが、この時はお菊の井戸の撮影はしておりません。正直、怖いです。観光客が井戸の前で記念撮影をしていました。

「ワシは知らんぞォ~ 怖いもんが写ってても」と思いながら通り過ぎました。あの方のカメラには悪霊は写っていたのでしょうか?

 

怪談話13 

 

(まつのき小唄の節でお願いします。お若い方はスルーでオケです)

♪人の姿ばかりが霊写真じゃないぃ~、ァ骸骨の写真も、霊写真のぉ内ィ~

 

 心霊写真と言えば人間の顔が写っているのを思い浮かべます。中にはどこをどう見たら顔に見えるのかとかもあり、ジジイにはよくわかりません。

 

 はっきりと写っている写真を小学6年生の時、姉に見せてもらったことがあります。ただそこに写っていたのは人間の姿ではなく、はっきりとした骸骨の上半身でした。

 

 姉が友人たちと姫路城に遊びに行った時のこと。あそこにお菊さんの井戸がありますが、その前で並んで記念写真を撮ったのです。並んだ皆さんの頭の上あたりに写っていました。姉が友人から貸してもらった写真には、ちょうど井戸から出てきた感じで下半身は煙のようでしたが上半身は本当にはっきりとした人間の骸骨そのものの姿が。肋骨のあたりから上がはっきりと。しかも肋骨の数が人間のより相当多く、ぎっしりと並んでいたことは今でも鮮明に覚えています。非常に気味が悪いものです。

 

 後にも先にもこれほど怖い写真を見たのは初めてです。でも確かなんです。こういうのってあるのでしょうか。

 

怪談話14

やっぱりあれは”人”ではないと思います。

 

 今から書くことは霊感も何もない、人騒がせなジジィが勝手に想像している事なので、話半分いや、3分の1くらいに聞いてもいいくらい。先の怪談話で姫路城お菊の井戸の前での記念写真に写り込んだものの正体です。

 

 浮遊霊や地縛霊は元々成仏できない”人”なのでしょう。だから人の顔をしているし姿も人間なのでしょう。しかしあれは元々この世に存在しないものの姿でありました。

 

 言葉だけはよく耳にします。悪霊、死神、腐れ神、魔物など人間界に存在しないものの類ではないでしょうか。

 昔、職場の後輩から聞いた話ですが、ある人が霊能者に除霊をお願いしたそうです。しかしその霊能者が言った言葉、「すみませんが私の力では無理です。」憑いていたのは魔物だったのでしょうか。

 

 

一ノ谷の合戦の場所はこの辺りであってるかなァ 

 

 

 昨年12月に投稿した記事について、後日ある人から教えてもらったことがありました。「能を見に行ったことがあるけど平家物語の敦盛の話はそうじゃなかったですよぉ」と言われました。『どうでもええやんけ』と思いましたが、真実に触れることで学びの機会をいただきました。感謝です。

 

 自分で良く調べてみると確かにこの一節は能ではなく、正しくは「幸若舞」の「敦盛」。「人間五十年」も、敦盛を討った源氏方の武将、熊谷直実が出家を決心した心情をうたった一節。

 一度須磨寺を訪れ、時間のある時に写真も貼り付けたいと思います。

 

 

訂正しておきましたで。

 

ピンチの時『敦盛』を舞うジジィ

 

 現役時代、ジジィは仕事のプレッシャーが高じた時などに、家で気分転換というかよくやってたことがあります。能(訂正後 幸若舞)の『敦盛』をご存知でしょうか。

 

 人間(じんかん)50年、下天のうち比ぶれば… というものです。

ジジィはあの詩が大好きなのです。もちろん能(訂正後 幸若舞)などやったこともなく見様見真似、扇子の代わりにうちわを持ちます。

 

 知っている人には説明不要でしょうが、この詩は物凄い宇宙観、死生観をうたったものです。

 

 人間界でいう50年など、天のそれもまだ下の下天の時間と比べても一瞬の夢、幻のようなものだ。つまり今自分に起きていることなど、この宇宙で起きていることと比べるととるに足らないことに過ぎない、というのです。

 

 次からがとても勇気づけられるというか大好きな一節です。「ひとたびこの世に生を受けた者で死なないものなどいない」。まさにタイトルのメメントモリなのです。

人はいつかは死ぬものだ。ならば、己の信念に従って行動を起こせばいい。ただそれだけのこと。織田信長は桶狭間の戦いの前に、覚悟を決めて敦盛を舞い、出陣したといわれています。

 

 このエピソードが真実かどうかはさておき、死ぬ気でやれば大概のことはできるかもという事です。完全なおふざけでジジィが舞っているユーチューブがあればお見せしたいですが、悩んでいること自体がバカバカしくなってちょうど良いかも知れませんね。

 写真の貼付けができなかった以前の投稿にも、添付できるようになったので付けてみましたよ~!

 

 

人生の価値について

 

 ジジィは若いころ趣味で海スポーツ競技に取り組んでいました。

海が好き、だったこともありますが何かに一生懸命取り組むのが好きでした。

 

 車にボートを乗っけて、各地で行われる大会に参加していました。何度も言いますがジジィは趣味でやっていただけ。

 

 当時、一回りくらい年下の競技選手とよく一緒に全日本選手権とかに出ていまして、いい思い出になっています。

 

 ジジィは子供が生まれたのをきっかけにその競技から引退しました。仕事と子育てに時間を割かねばならず、寂しかったですが海ともお別れしました。意識的に競技のことには耳を塞ぎました。また、それと同時にその競技選手とも自然と会うこともなくなりました。

 

 それから数年後、彼が突然私の職場を訪れてくれました。とても懐かしく、そして今も一生懸命競技に取り組んでいる話をしてくれました。大手企業を辞め、フリーで人材育成の講師をやりながら競技を続けていたんです。

 

 オランダで行われた選手権で良い成績がとれ、次のニュージーランドで開かれる選手権にも参加資格が取れたんですよと嬉しそうに話していました。ジジィは自分のことのように嬉しかったです。ところが彼は、「次の大会に出ようかどうかは迷っています。」と言いました。

 

 マイナー競技なので遠征費用はすべて自分持ちです。20万円ほどの遠征費が工面できないというのが理由でした。

 

 その時思ったんです。当時の自分にとって20万円は大金ではありませんでした。職場の1階にあるATMに行けば何のためらいもなく普通に引き出せる金額でした。彼にはそのお金がないという。自分は安定した仕事と不自由の少ない生活を手に入れることができた。でも夢は捨てました。彼はキャリアを捨てお金はないけど夢と目標に溢れていたんです。

 はっきりとは言わなかったけど彼は本気でオリンピックを目指していたと思います。

 

 どっちが幸せなのか、正解なのかよくわかりません。おそらく死ぬときになってもわからないかもしれない。人生の価値を測る尺度は人それぞれなのだと思います。

 

この木が後ろからジジィを呼び止めよったんですワ

 

 最初は写真を張り付けられなかったけど、今は写真を何枚もアップできる有料会員になり過去記事の説明がしやすくなると思って貼り付けてみました。

 

 

 

 

 今から7年ほど前の話です。仕事で心身とも疲れ果てたジジィ。でも何とか元気を取り戻したい。どうすればいいんだろうか?あれこれ考えているときに偶然目にしたのがパワースポットという言葉。元気を取り戻せるのか…。散策を兼ねて行ってみようと考えました。

 

 藁をもすがるとはああいうのを言うのでしょう。以前なら目にも留めなかったと思います。ネットで調べました。「最強のパワースポット」、「行くと元気になれる」、等々うれしいキャッチコピーです。場所も京都御所や二条城、下賀茂神社、上賀茂神社。パワースポットなど関係なくても秋の散策にぴったりです。歴史好きの私には二条城は見ごたえがありましたし、神社の参道の砂利道を踏みしめながら歩くと心も落ち着きました。少し寒くなったころでしたが元々山歩きも嫌いではなかったので、鞍馬寺から貴船のハイキングコースに出かけることにしました。

 

 鞍馬寺の入り口には大きな天狗のオブジェがありました。平日だったのでそれほど観光客もいなくて、山道を歩いても人に会うことはありませんでした。鞍馬山は「木の根道」というところや五芒星を形どった印もありました。霊験あらたかといったところでしょうが特に感じるものはありませんでした。でも木々に囲まれた山道、静寂な中をゆっくり自分のペースで歩いているとやはりこころが落ち着きます。貴船はもうすぐのところまで来ました。

 

 その時後ろから誰かに呼び止められた感じがしました。誰だろうと振り返りましたが、私以外には誰もいません。目の前にあるのは斜面に立っている一本の朽ちかけた老木でした。その木をよく見ると土だけに生えているのではありませんでした。根っこは大きな岩を割って地面に届いています。上を見上げると二つに分かれた幹の片方は落雷にあったことがあるのか、焼け焦げたように見え朽ちていましたが、もう片方の幹はなおも天を目指して伸びています。種が落ちた場所、生まれた場所は自分では選べない。たとえ半身が朽ちても生きる意志さえあれば生は全うできる。この老木はそのことを自分に教えるために自分を呼び止めたのだと思いました。

 

 見過ごしてしまうような日常の出来事も何かしら意味のあることは多いと思います。一瞬一瞬を大事に「丁寧に生きる」ということが、よりよく生きるという事なのかと思いました。

 

↑パワースポットと言われる「木の根道」

でもジジィには全く何も感じませんでした。

ざる蕎麦みたいやなぁニコニコ

 

 

 昨年12月に掲載した、「不思議な話7 コックリさん」

この記事中、最後に『数日後3人のうちの一人が』としていたのですが、正しくは翌日だったんです。

 

 いろいろ考えて当時あえてトーンダウンの意味で数日後としていたのですが、恐ろしさを事実通り正しく伝えるため、修正しておこうと思いました。

 

 面白おかしく書いていますが、当時のパニックぶりは凄まじく、追い詰められた40人以上の生徒が狭い教室中を右へ左へ逃げ惑う様は、今考えるとホラー映画そのものです。

 

 社会が不安になってくるとこの手のものが流行するようです。

実際恐ろしいことが起きてしまいました。

 再び流行しないようにしなければと思い掲載しました。

 

 

 

指が離れないっ!教室に悲鳴が飛び交いパニックに!

 

 ジジィが小学6年生の頃、全国的にコックリさんブームがありました。以前からあったのでしょうが、当時人気漫画雑誌に連載されていた心霊漫画『恐怖新聞』などの影響だと思います。ある時から急に教室でもお昼休みにみんながやりだしたんです。

 

 ジジィはやったことがありません。むしろ馬鹿にしておりました。理由は体の弱かったジジィが学校を休んでいる間に流行りだしていたので面白くなかったのです。当時から僻みっぽかったのですね。

 

 ある時昼休みだったか、3人の女の子がコックリさんで遊んでいたんです。はい、いいえ、鳥居のマーク、あいうえおの50音を書いた紙の上で10円玉を乗せ質問に答えてもらっていたんです。もうすぐ終わらせようとしていたんですね。でも女の子が「鳥居の所に帰ってくれへんねん」と大声でいいました。教室にいたみんなは何?て感じでしたが「あかん、あかん指が離れない」とか言ってます。驚きはそれからでした。10円玉が物凄い速さで走り出し、3人は指を乗せたまま教室中を雑巾がけをする態勢で左へ右へ。それに合わせ回りの子も逃げまどいます。悲鳴が飛び交った教室は大パニックになったんです。

 

 そのときです。教室の扉が勢いよく開き、もっと大きな怒声が響きました。誰かが職員室に行って担任の先生を呼んだのです。若い女性でしたが怖い先生でした。

「やめないかっ‼」と一喝。教室は一瞬で凍り付きました。「手を離しなさいっ!」

女の子たちは立ち上がりました。『なんだ離れるんだ』と思いました。

 

 隣にいた女の子が解説をはじめました。「コックリさん、怒ってはる。空見て。曇ってるのに雲が光ってるやろ」この子はやたら心霊に詳しい子でした。この意味不明な解説も驚きでしたがもっと驚いたのが、翌日3人のうちの一人が大けがで腕を骨折したんです。

まあ偶然とは思いますが。

 

 

 大阪府吹田市にある万博記念公園内「平和のバラ園」は現在ローズフェスタを開催中。

    6月8日日曜日までなので、あともう少しで終了なのですが、綺麗なばらを見ていただこうと、今日も20人以上のボランティアさんたち、園芸会社の社員さんたちと剪定してきました。

 

 2月の冬剪定でバッサリと切った枝に、暖かくなってくると次々と花が咲きます。

 

 

    昨日は結構な雨だったので花に水が溜まり、房咲のばらは重みに耐えられず根元で折れてしまっている子たちもいました。花が咲ききり開いている花を剪定してやると起き上がってくれました。『あと数日頑張ってな』、と祈るような気持ちです。

 

剪定前

 

剪定後 違いがわかりにくい写真ですみません。

変色した花などを全て落とします。

 

  この一週間で新しいつぼみもたくさんでてきていますので、お時間があればまた見に来てやってくださいね。

 

 

 

昨年12月に掲載した記事の事です。

 

『あんた、そんなこと言っていいんでっか?

 

 ジジィはまだ数年は大丈夫と自分に言い聞かせているのですが、それでも若いころに比べると頭髪前線は北上中であります。

 転ばぬ先の杖。不安症のジジィは近所のドラッグストアに育毛剤を買いに行きました。当然値段の一番高い効きそうなやつを手に取り、女の子を避け、若い男の店員めがけて差し出しました。

 この薬は購入時に薬剤師と話さなければいけないようですね。その時の話です。

 

 店員  「医薬品なので用法をよく読んで使ってくださいね。」

 ジジィ 「効果はありまんねんやろなァ。こんだけ高いねんから。」

 店員  「2,3か月使ってみて効果なかったらスパッと男らしく諦めてください

      よ。そういう人はなんぼ使ってもお金の無駄ですから!」

 ジジィ 「…そういう人、いるの?逆に効いたというひとはいるん?」

 店員  「たまーにですけど、何か生えてきたような気がしますというお客さんお

      られたみたいですね」

 

  ジジィは賭けに出ました。高かったけど。

  店員さんもはっきり言う方がいいんでしょうか?

  結局ジジィも途中で使うのやめましたけどね。』

 

 

 で、 棚の奥を整理してたらまだあったんですよ。

 あの時の店員さんへ。

 ワシ、育毛剤、ほかしますわ。

 

 

 昔から一人でぼーっとするのが好きなジジィ。

桜の季節になると毎年必ず一人で花見に行っている場所があります。

 

    京都の桜の名所のひとつ、伏見の淀水路です。近くに坂本龍馬ゆかりの史跡「寺田屋」や伏見の酒蔵などがあります。両岸に桜が並ぶ淀水路の桜は見事で、乗ったことはないけど伏見十石船からみる桜もさぞ見事でしょう。また、水路に架かる「出会い橋」は映画やCMのロケに使われた場所としても有名です。

 

↑静かやった頃の出会い橋

 

    さて、タイトルの話です。

 インバウンドを否定していません。日本の文化に触れてもらうことは良いことです。

ただ、急激に特定の時期に一か所に集中してしまうと日本の人が隅に追いやられてしまうような少し残念な気持ちになるのです。ジジィの僻みでしょうか?

 

    ここ伏見も平日は9割くらいが海外の人のように感じました。しかもかなりごった返している感が。ええ加減なジジィの記憶が確かならば、少し前までは今ほど混雑する場所ではなかったと記憶しています。昼時はお花見がてら近所の会社の人がお弁当を広げたり、高齢の方々が桜の木の下でのおしゃべりに興じている、といったイメージの強かった場所です。ジジィもコンビニで買ったパンとコーヒーを食べながら微睡むのが至福の時でした。

 

↓静かやった頃

 

 

 長野県白馬も1月の良い時期は外国の人で大賑わい(これは良いことなんですよ)。ただそこはもう日本の若い子が遊べる場所ではなくなりました。雪質が悪くなる3月の終わりは海外の人たちはもういなくてようやく落ち着いた雰囲気になっていました。

 

 でもこれだけならまだいいのです…。

 

 

    お金が落ちるところ開発が進み、白馬では昔から住んでいた人が、景観を遮られるように大きなホテルの建設計画が出て、永く住んでいた所も立ち退きとかで転居せざるを得ない人が出てきました。その方は泣いておられました。

 いったい誰が得をするのか。地元長野のニュースで見て何だか悲しくなりました。