中学時代
「なんで勝手に決められたことを守らなきゃいけないんだよ。」と学校の教育にすごく不満を持っていた。
「ちゃんとやってりゃ文句ないんだよね。」という感じで、勉強は塾でやり、学校では寝てたりしていた。
なんとなく大人扱いするくせに、いざとなると子ども扱いされることがいやだった中学校時代。学校嫌いだった中学時代。
高校時代
そのパワーは部活に向けられた。義務教育までとは違い、自由に過ごせた。
大学時代
大阪、カナダ(バンクーバー)
引き続き自由に過ごした。
一年間カナダでも暮らした。
カナダでは家族で過ごす時間が多い。そこまであくせく働いていないけれど、それなりに毎日を謳歌している感じがした。日本人のライフスタイルに疑問を持った。あんなにあくせく働いているのに、それほど幸せを感じられない。
そして就職氷河期。会社は自分を守ってくれない。自分でなんとか生き抜く術を身につけなければいけないと思った。
1999年
大阪、名古屋
最初は塾業界に入るつもりだったけれど、ある塾の塾頭が「まずは社会人として経験を積み、それから「先生」と呼ばれる職業に就くのが理想だ。」と話しをされた。それもそうだな、と思い、とりあえずチェーン展開しているスーパーに入った。お肉コーナー担当。
働いていると、「営業をやっておけば、一生食っていけるよ。」とパートのおばちゃんに言われ、名古屋で外資系の医療機器メーカーに転職。結局なにごともコツコツだ、と学ぶ。
2003年
茨城県
進学塾に転職。もともと塾志望だったので、ようやく本道に。
仕事自体は楽しかったが、本当にこういった知識だけを高める教育で、これからの教育はいいんだろうかと疑問を持つ。
2005年
東京、赤坂
縁あって、カナダの語学学校の日本支社で働く。海外留学のコーディネートなどの業務のなかで、モンテッソーリという教育を知り、海外の教育法に初めて触れる。
2006年
東京、中野区
東京で、学力ではない、人間力を上げるカリキュラムに出会い、そこで働く。教室長をやっていたということ、東京という私立中学がたくさんあるという土地柄により、私立の中学校の先生と話す機会を持つようになった。
そこで出てくる言葉が、「子どもはいいんですけどね。親がね・・・」一方、保護者面談では、「先生の教え方が・・・」という話を聞くことがしばしば。二者とも「子どもの成長」を願っているのにいがみ合っている現状が残念。しかし、企業の看板を背負ってやっている以上、話を聞く以上にことはできない。
このカリキュラムを創ったのが、公立小学校の先生である渡邉尚久先生。公立の先生と初めて話をする機会を持った。
またこのころ、自分の思考に大きな影響を与えた喜多川泰さんの本に出会った。自分と五つしか違わないのに、ここまでの表現ができるのか、と驚いた。その後すべての本を読んでいる。
また、グロービスという経営大学院の単科生として授業も受けた。今まで中小企業で働いてきた自分が大手で働いている人たちと対等に話せた。学ぶことの刺激を受けた。
2007年
北海道 札幌
次に海外大学進学準備を行う語学学校で働いた。高校をでて、日本の大学、という以外の選択肢に初めて直接関わる。
2008年5月
地元の瀬戸に個人塾をスタートするために引っ越す。
つづく・・・・