先生が学習の機会を奪う | 「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

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現在の自主学校のスタイルは、基本的にこちらからはなにも与えません。

そういうスタイルをとっているオルタナティブスクールは結構あります。

 

そんなときに、たまに聞こえてくるのが、

「教科学習と出会う機会を子どもが逃してしまっているのではないか。」

ということ。

 

では、学校に行っていたら、最低限「機会」は保証されるのか?

たしかに「出会う」ということは保証されるかもしれないけど、さらにその先の「身につける」ことを考えると、果たしてそれでいいのか?と思うことがある。

 

教科との出会いを「先生」という媒体を通じて行うのであれば、そこにはなんらかの感情が伴うことが多い。

ということは、どうしても好きになれない先生と出会ってしまった場合、その教科にまで負の感情がついてきてしまう。

中学生ならまだよいが、小学生の場合は、すべての教科を基本的には担任が受け持つのだから、かなり悲惨だ。

この「好き嫌い」というのは「身につける」上で結構重要だから。

 

そう考えると、瀬戸ツクルスクールのようなカリキュラムや教科学習をこちらから与えない場合、スタートがフラットという状態になれる。

プラスにはならないかもしれないけれど、少なくともマイナスにはならない。

 

逆に、学校に行くことで、「嫌い」になってしまうこともある。

それはある意味、先生が学習の機会を奪っているということにもなるのではないだろうか。

私も含めて、実は先生は、「学習の機会」を奪うことがあるということを肝に銘じておかなければならないんだよなぁと思った。